第二章  「亮太」 1「あたしはそんなにやわな女やないわ」

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第二章  「亮太」 1「あたしはそんなにやわな女やないわ」

 亮太が校門を通りすぎると、伸一が駆け寄ってくる。  亮太はおはようのあいさつ代わりに手を上げて大きく振った。  伸一が近づくにつれ、顔つきが怒っているように見えた。 「朝からどうしたん」と亮太は顔を突き出して訊ねた。  伸一が両手で亮太の服を掴み、前後に体を揺すり、(あせ)口調(くちょう)で一気に()(ただ)そうとした。 「亮ちゃん、昨日なにをしたんや。なにがあった。早まるな。自棄(やけ)を起こすなよ」  呑気(のんき)に笑っていた亮太は、伸一の鬼気(きき)(せま)る表情と態度を見て、「なに。なに。どうしたん、伸ちゃん」と引きつった顔つきで聞き直した。 「どうしたもくそもあるか。訊きたいのは僕の方や。昨日、なにがあったんや」  再度、伸一が問う。目が真剣だ。怖じりながら亮太は思い出して返答した。 「昨日は伸ちゃんも知ってるとおり、山でマンザイをして帰ったよ」  伸一の追求が続いた。 「そのあとどうした」  亮太は落ち着きを取り戻し、順番に説明をした。 「どうしたって、家で飯食って、テレビを観て、お風呂に入って、寝たよ」  伸一が亮太に顔を近づけた。 「亮ちゃん、ほんまにそれだけか」  間を置いて「あっ、そうや」と亮太は声をあげた。 「なんや」と伸一がさらに顔を近づけた。 「夜中に起きて、おしっこしたわ」 「なんじゃそりゃ。そんだけかい」  伸一が前のめりになって亮太によりかかった。 「そんだけだよ」亮太は後退(あとずさ)って言った。 「それじゃあ、亮ちゃんは、まだなんにも知らねえんだな」  伸一が十字を切って、「ご愁傷様(しゅうしょうさま)」と両手を合わせた。 「伸ちゃん、今のごちゃ混ぜで、めちゃくちゃやん」 「そんなことはどうでもええ。とにかく教室へ来い」  伸一に手を引っ張られて亮太がうしろをついていく。  亮太にはすれ違う人が自分の顔を気の毒そうな目で観ている気がした。  亮太と伸一が階段で竜二とすれ違った。 「ほらみろ。俺の言ったとおりだろ。ちゃんと謝っておけよ」  竜二に注意されると、亮太は得体の知れない怖さに取り巻かれてうろたえた。 「竜ちゃん、ついてきて。怖い」 「アホ」  竜二は素っ気なく言って階段を下りていった。 「ひえっ、なに、なにがあったんよ」  亮太は腰が抜けるようにしゃがみこんだ。 「こんなところで座り込まないで、早く来いよ」  伸一に引っ張られて教室へ向かった。駄駄(だだ)()が母親に手を引っ張られているように、亮太の腰が逃げていく。教室の前では人集りができていた。他のクラスの男子生徒が廊下に並んでいる。亮太が教室の近くまで来ると、野次馬(やじうま)が教室の入り口付近をあけた。  亮太は恐る恐る教室のうしろから入っていく。  いつもと変わらない風景に思えた。よく見回すと同じクラスの男子生徒が教室の隅を取り巻くように立っている。美咲の席には女子生徒が集まっていた。窓際の前列に座る美咲の姿は見えなかった。亮太は机にカバンを置いて席に着いた。右隣の翔太が困ったような、申し訳なさそうな顔で亮太を見つめた。亮太からあいさつをした。 「おはよう、翔ちゃん」 「おっ、おは、よう」  翔太にしては歯切れの悪い返事だ。 「翔ちゃん、なに、どうしたん」  翔太が美咲の席を指差して、つんつんと突くような仕草をした。  亮太が美咲の席に目を向けると、周りにいた女子生徒が気づいて、瞬時に美咲の席が見えるように移動した。  亮太は他の人が美咲の席に座っていると思った。亮太は視線を落とし、かばんから教科書を取り出して机の中へ押し込んだ。視線が自分に集まっている気がした。顔をあげると、前列の女子生徒がこっちを見ている。亮太は思わずうしろを振り返った。  誰もいない。顔をしかめて再度前列へ目を向けた。まっすぐ顔を向ける女性がいた。  亮太は覗き込むように顔を突き出した。 「うっ、うわぁぁぁ」  亮太は驚きのあまり後方へ両腕をぐるぐる回しながら椅子と一緒にひっくり返った。  倒れる音が教室内に響いた。 「大丈夫か」  翔太の声が聞こえた。次に誰かが近づいて来る足音が聞こえた。亮太は慌てて体を起こした。目の前に女性が立った。顔のパーツを見定めれば、間違いなく美咲だ。美咲の輪郭(りんかく)にあったはずの長い髪はなかった。 「美咲、どっ、どうしたんそれ」 「どうしたんって、見てわからんのか。髪の毛切ったんやんか。あんた、そんなこともわからんようになったんか」 「いやいやそれはわかるけど。なんでそんなに切ったん」  急に美咲がしゃがみ込んだ。亮太は動揺した。美咲が両手で顔を隠し、泣き声に近い声で説明を始めた。亮太は中腰の姿勢になっておろおろと困惑した。 「あんたがな、みんなの前であたしの髪形をネタでいじるから、もう恥ずかしいて、恥ずかしいて、近所も歩かれへんようになった。あたし、どうしてええかわからへんようになって、胸も痛いし、つい自棄になってしもて」 「みっ、美咲、ごめん。そんなつもりやなかったんや。あのな」  美咲がすくっと立ち上がった。仰け反るようにして亮太が尻餅をついた。 「あはははっ。嘘泣きに決まってるやろ。あたしはそんなにやわな女やないわ」 「えっ、嘘泣き」 「あんな、ショートボブにしたんはな、長い髪がめんどうやからや。シャンプーもこの方が楽やねん。そんだけの理由や。他意なんかないわ。ほな」 「ほなって」 「ああ、さっぱりした」  美咲が前後に両腕を振って、元気に自分の席へ戻っていく。山村紗英を含む数人の女友達が美咲に集まる。美咲がすっと右腕をあげた。前方から笑い声が生まれた。どうやらVサインを出したようだ。紗英がちらりと亮太に視線を向けた。亮太はかくんと頭を垂れた。  亮太にそっと近づいた伸一が追討ちをかけた。 「亮ちゃん、女は別れを決意すると、髪の毛を切る動物らしいぞ」 「ほっ、ほんまに」 「美咲ちゃんはさっぱりしてるからなあ。しゃあないなあ」 「僕、美咲にふられるんか」 「可愛い子には、虫がつきやすいと言いますからなあ」 「お前は何者やねん。誰が言うたんや、そんな格言、聞いたことないわ。チョロ、もういいかげんにしとけ。亮太が青ざめてるやないか」 「さっぱりしてる。虫がつく。ぼっ、僕、ほんまに、ふられるんかな」 「わりい。わりい。亮ちゃん、軽い推測や」 「推測って、根拠があるんか」 「亮太、ないって。チョロの悪い冗談や。見てみい。美咲ちゃん、明るうやってるやないか。美咲ちゃんはそんなにころころ気持ちが変わる女の子とちゃうやろ。お前も言うてたやないか。母ちゃんに似てるって。一途なんやろ」 「そやけど。そうやな。わかった」  亮太はやっと安心して腰を落ち着けた。  朝一番から衝撃的な出来事で、亮太はどっと疲れて机に俯せた。    二時限終了後は、通常の十分休憩が五分間延長される。  彼らは少し長目の休憩時間を「中休憩」と呼んでいる。  伸一が亮太と翔太を誘って、学生ホールの食堂へ行った。  お昼御飯までにお腹が空くので、たぬきそばかパンを買ってホールで食べるのが日課だ。  中休憩には女子生徒も間食をするのだが、「なんで痩せへんのやろ」と疑問の科白をもらす彼女達に、「そりゃあ、食べてるやん」と翔太と亮太はツッコミたくなる。  どちらかがツッコミを入れると、続けて「今の直球ですよ。ストレートですね」とつけ足すだろう。  学生ホールの真横には、運動場へ向かう道をはさんで、体育教師が待機する部屋がある。  入口の前に竜二がいた。三人が竜二に目を向けた。  ドアが開かれたままになっており、教員室の中には原田(はらだ)秀樹(ひでき)先生がいた。  なにやら会話が聞こえてきた。 「神田、お前、ラグビー部に入れ。百八十センチを越える背丈にちゃんと筋肉もついてる。瞬発力があって、運動神経もいい。お前ならいい選手になれる。お前がラグビーをするなら、今からでも東京のK大学かT大学に推薦してやるから。どうだ神田、考えてみないか」 「俺はそんながらじゃないっすから」 「スポーツはがらでするもんじゃないぞ」 「わかってます。俺はチーム競技って言うか、団体競技は向いてないっすから」 「お前にも仲間がいるだろ」 「あいつらは束ねないと」 「悪さをするか」  竜二は口を(つぐ)んで答えなかった。 「まぁでも、なんかスポーツをしろ。お前の才能を無駄にするな」  竜二は返事をせず、ぺこりと上体をさげて踵を返した。  竜二が振り返ったとき、三人と目が合った。竜二が反対側に顔を向ける。すたすたと校舎の方へ向かった。 「竜ちゃん、ラグビーをするのかな」  亮太がぼそっとつぶやいた。後方から三谷の声がした。 「たぶんしないだろう。チーム競技をするくらいなら、最初から野球部に入ってるよ」 「じゃあ、なんでしないの」 「亮太、人にはいろいろ事情があるんだ。自分が望もうが望まずとも、ふりかかって背負わなければならないやっかいなことがあるんだよ。不平等かもしれないけどしかたがないんだ」 「竜ちゃんはいい人なのに」 「ははははっ。亮太はいつもそう言うな。竜二ファンか」 「そう。竜ちゃんのファン」 「ふふっ。お前って変なやつだな。でもわかってんじゃん。お前ら、あと十分もないぞ。じゃあお先に」  三谷大輔とわかれた三人が学生ホール食堂へ駆け込んだ。    お昼休みになると三人でお弁当を食べる。  亮太、翔太、伸一は昨日の刑事ドラマの犯人が誰だとか、歌番組に出演したアイドルグループの誰がいいとか、テレビ放映された映画の話をした。 「そうそう、昨日、クイズをもらったんだ。一緒にやろうぜ」  伸一が机に広げたのは、生命保険の勧誘でもらった「間違いさがしクイズ」だ。  一番上には、「七つの間違いをさがしてください。全問正解者にはプレゼントを。」と書いてある。  間違いさがしは残り二つ、三つになるとなかなか探し出せない。 「手に持ってるコップが湯飲みになってる」 「カウンターにある花瓶に違う生花が挿してある」 「女性のメガネが違う」 「時計の針の位置が違う」  と四つまではわりと簡単に見つけられた。  だが、残りの三つがなかなか見つけられない。  じっと見つめる集中力はなかなかのもだ。おそらくこれだけの集中力を活かせれば、彼らの成績もそれなりにあがるだろう。 「あっ」と叫んで伸一がにんまりした。「なになに」、「どこどこ」と言って中央に頭を寄せ合った。伸一がシャープペンシルの先でカーテンの下をとんとんと示した。 「ああ、カーテンの模様が違うのか」  亮太は答えを見つけて残念がった。翔太が右側を見てなにやらぶつぶつ言いながら頭を上下に振っている。次に左側を見て同じく頭を上下にした。 「へへっ。やりぃ」  翔太がうれしそうに顔をあげた。 「なに。どこどこ。教えて」  亮太は間違いさがしクイズのペーパーを食い入るように見つめた。 「顔を近づけるとかえって見つけにくいんだ」  翔太が自慢顔で言った。亮太は顔を遠ざけた。「ええ、どこだよ」と伸一が眉をひそめた。  翔太が指先で壁の模様を指した。 「ほら、この壁の模様の線が一本多いんだ」 「ええっ、こんなとこかよ。わかんねえよこんなの」  伸一が負け惜しみぽく言う。「すげえ翔ちゃん」と亮太は単純に感嘆する。  さて、ここからが大変だ。最後の一つがどうしても探し出せない。はぁ。うううん。んんん。と溜息と呻り声しか聞こえなくなった。汗が額から(にじ)み出るような顔つきをしている。場所を変えればトイレできばっているようにも受け取れる。 「ああ、もうダメだ。集中力が切れた。いったん休もうぜ。疲れるわ」  伸一が止めた息を吐き出すように言ってあきらめた。  亮太と翔太が顔をあげて、ペーパーから視線を外した。 「ああ、首がいてえ」と翔太が首をもんだ。  突然、伸一が「くっくっくっ」と笑い出した。 「チョロ、なにを思い出し笑いなんかしてるんだよ。気持ち悪いな」 「いやいや、亮ちゃんのおやじさんのことを思い出したら笑えてきてよ」 「亮太のおやじさんのこと。なにそれ」 「前に亮ちゃんから聞いた話だけどさ。間違いさがしクイズの最後の一つの話なんだけどさ。これが笑えるんだよ。なっ、亮ちゃん」 「ああ、あの話か」 「亮ちゃん、翔太に話してやれよ」  亮太は当時の事を思い出しながら話し出した。
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