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第二章 「亮太」 2「大変なのは母ちゃんだから」
ある日、母ちゃんと父ちゃんが頭を寄せてなにやらぶつぶつと話をしていた。
「いやだよ。父ちゃん。そんなことある」
「いやいや、こんだけ探しても見つからへんのや。絶対にここしかないで」
二人がとても楽しげに会話をしている。亮太は前方に回って訊ねた。
「母ちゃん、父ちゃん、なにを話してるの」
「これこれ」と母ちゃんが言って、間違いさがしクイズのペーパーを指差した。
「間違いさがしクイズがどうしたの」
「これがね。ほら、ここと、ここと、ここと、ここと、ここと、ここ。六つ見つけたんやけど。あと一つがどうしても見つからへんのよ」
「それであと一つは」
「父ちゃんがな、ミニスカートを穿いた女性が右側と左側にいるでしょ」
「ああ一緒だね。これのどこが違うの」
「それがね、くっくっくっ。あたし言えないよ。父ちゃんが説明して」
母ちゃんが笑い転げた。父ちゃんがうれしそうな顔をして説明をしてくれた。
「パンツの色だよ。パンツの色」
「パンツの色って」
「こっちのお姉ちゃんがつけてるパンツが白で、こっちのお姉ちゃんがつけてるパンツがピンクなんだ。間違いなく、それが残りの間違いや。絶対や」
「どんな間違いさがしだよ。見えてない下着やんか。どんだけ強引やねん。ほんま信じられん発想やんか」
「そうだろ。母ちゃんもそう言ったんだけどさ」
母ちゃんが父ちゃんを見ながら笑い続ける。
「お前も『腰のところ、下着にそった皺があって、そうかもしれんな』と言うたやろ」
父ちゃんが母ちゃんも同意したと言い訳をして笑い転げた。こんなことで笑い合えるなんて、幸せな夫婦だと、亮太はちょっと呆れた。
あのときはそう思ったが、父ちゃんの発想がおもしろいと、思い出し笑いをした。
あれは父ちゃんの冗談なんだ。
亮太が父ちゃんの話を終えると、伸一が大ウケした。
「なっ、翔太。最高だろ。亮ちゃんのおやじさん。僕、思い出すたびに笑えてくるんだよ。どんな顔して言ってたんだろ。とか想像しちゃうとよけい笑えてきて。ああ、笑いすぎて腹がいてぇ」
伸一が涙を浮かべて笑っている。翔太も肩を揺すって笑った。
「亮ちゃん、一度、亮ちゃんの父ちゃんネタでマンザイをやってくれよ。絶対におもしろいぜ。なっ、頼むよ」
伸一の願いに、亮太は愛想笑いのような表情でうなずいた。翔太が亮太の表情を見て、複雑な心境で口を閉ざした。
五時半過ぎ、亮太が家に帰れば、いつもより早い時間だが、亮太の母親が惣菜の準備をしていた。料理の品数や量もいつもより多く作っている。
藤崎明子は一品一品味見をしながら準備を進めていた。
「母ちゃん、今日はなんかあんの」
「亮太、お帰り。今日は団体さんの予約が入ってね。六時半頃から食べて、そのままカラオケがしたいんだって。お店を一つにして節約したいみたい。台所に夕飯を作ってあるから好きなときに食べて」
「ありがとう」
亮太は仕事のじゃまをしないようにさっさと自分の部屋へ行った。ジャージに着替えて三十分ほどCDを聴いた。
六時頃、台所に用意してある夕飯を食べ、お風呂に入って、七時前には部屋のベッドに寝転がった。
伸一が七時半過ぎに家に来た。
「今日は騒がしいな」
「団体客が来てるんや」
「そういえば、七、八人はいたような」
「なんか飲む」
「サンキュー」
「じゃあ階下まで取りに行ってくるよ」
亮太は台所の冷蔵庫を開けてみたが、コーラどころかジュース類も入ってない。気乗りはしないがお店の方へ行った。日頃から夜のお店には顔を出したくなかった。酔った客は嫌いだし、母ちゃんに言い寄る客も嫌いだ。酔った客の相手をする母ちゃんを見るのも好きじゃない。何度か夜中に泣いている母ちゃんの姿を見たことがあるからだ。
そもそも最初からスナックを経営していたわけではない。
亮太の父親である藤崎誠は養子で、建設業で働いていた。
明子の父親が喫茶店を営んでいた。
明子がお店の跡を継いだことには理由がある。父親の他界と共にお店を閉めてもよかったのだが、お店の常連客には地元の高齢者が多く、田畑仕事の帰りにお茶を飲んだり、一人暮らしの高齢者が食事をする場所でもあり、貴重な憩いの場でもある。
憩いの場がなくなれば、高齢者が気軽に寄り集まれる場所は近所にない。お店を閉めれば高齢者の常連客が途方に暮れる。車や自転車でわざわざ離れた場所までいくのも不便だ。
おじいちゃんやおばあちゃんの要望や期待もあり、明子はお店を継ぐことにした。
次に、喫茶店に来るお客から夜にカラオケをして欲しいとの要望があり、お昼の喫茶店だけでは収入もままならず、夜にはスナックをするようになった。
今では昼と夜の収入は七対三の比率だ。だから簡単にスナックをやめるわけにはいかなかった。
亮太がお店に入っていくと、明子はテーブル席に座るお客の相手をしていた。
「母ちゃんごめん。伸ちゃんが来たからコーラ二本もらうよ」
明子は上下に頭を振って、すぐ隣のお客にビールを注いだ。
亮太が冷蔵庫からコーラを取り出すと、カウンターのお客に声をかけられた。
「おう、坊主、すまんがついでにビールも出してくれ。明ちゃんがあっちのテーブルに行ったままやから頼めないんでな」
「ビールって、これでいいの」
「おおそれだそれ。冷蔵庫の上に栓抜きがあるやろ。栓を抜いて持ってきてくれ」
「これね」
亮太がビールを手渡そうとすれば、お客がコップを差し出した。
ビールを注げと言っているのだろう。ちらっと母親を見た。
「なにそれ。八十のおじいちゃんが『世間が見えねえな』って言うから、『そりゃ目先だろ』って、ツッコミを入れたの。その話おもしろい」
明子がお客との会話で忙しそうにしている。亮太はしかたなくビールを注いで、冷蔵庫のそばに置いたコーラを持ち、急ぎ足で二階にあがった。
亮太と伸一は美咲の話やネタの話や竜二のことについて話をした。
九時頃に伸一が帰ると言って腰をあげた。伸一の見送りをするために一緒に外へ出た。
「けっこうにぎやかだな」
「通り道のそばと言っても、周りは田圃だから近所迷惑にはならないでしょ」
二人で話をしていると、誰か走ってくる姿が見えた。
「あれっ、もしかしたら三谷じゃねぇの」
伸一が目を細めながら言った。
人影が近づくにつれ、はっきり三谷だとわかった。
「大輔君、まだ練習してるんだ」
大輔は足踏みをしながら話をした。
「毎日、五キロのランニングと千回の素振りはかかしたことがない」
「練習後にも」
亮太が目を丸くして訊いた。
「当り前や。そのために空き家になってたじいちゃんの家に引っ越してきたんだから。みんなとの練習以外でもがんばらないと、なんのために引っ越して来たのかわかんねえからな。まっ、前に住んでいたのは貸家だったこともあるけどさ」
「でも、すごいね。天才なのに」
「まだまださ」
「だってホームランを三十二本も打ってるんでしょ」
「打ってるけど、このレベルじゃだめだ。天才って言うのは、他人より努力ができるやつのことを言うんや。だから俺はみんなとの練習のあとにも努力してんの」
「すげぇ」
「それより亮太の店、すごいにぎやかだな」
「今日は団体客が来てるから」
「そうか。大変だな」
「大変なのは母ちゃんだから」
「そりゃそうだ。じゃあな」
三谷を見送ると伸一も自転車で帰った。
九時半頃に団体客が帰り、十一時半頃に最後のお客が一人で帰って行くところだ。
外から声がしたので、亮太は音を立てないように窓を開けた。
「せっかくの話だけど、ごめんなさいね。その気はないので」
お客はまだ帰ろうとしない。
「お気持ちは頂きましたから。今日はもう遅いのでこれですみません」
明子が頭をさげて渋々帰るお客を見送った。
亮太はそうっとベッドに入った。なぜかもやもやして、いやな気分がした。
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