ヒューストン、聞こえる?

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※ 資料室閉架併設のモニタールームは、最近の私のお気に入りスペースとなりつつある。 いっそ資料室の近くの居室に移ろうかとも思ったけれど、日々の保守点検やランニングのルーティンは変えない方がいいだろうと総合的に判断して、変えないことにした。 私は毎日、起きて、身支度して、食事をして、保守点検をして、食事をして、あとは計画通りに走ってこのモニタールームに辿り着く。 今流れている映像は、強風をものともせずに飛翔する凧。 あの日に撮った映像だった。 私の作り上げた凧。 私が自分の意思でやり遂げた、私だけの結果の証である。 閉塞していくこのコロニーと、わが身の先の無さを思えば、ばかばかしいにも程がある。しかし、意味は無くても私は満たされた。 それで充分ではないだろうか。 最近は「集落も作れないほどの過酷な極北の地で、イヌをお供にソリで狩猟の旅をする男」の映画を観た。彼が何をしたところで(ーー良い獲物を得たところで)(ーーその命を落としたところで)それは人類全体に何の影響も及ばさなかった筈だ。 人類には、個々人が生きること、それ自体が目的だった時代があった。 それは私にとって大きな発見だった。テキストデータの物語の中で、目から鱗という表現をされていたのは恐らく、この感覚のことだろう。 生存はそもそも確約されていない、と全人類が認識していた時代。自分ひとり生き延びるために、糧を得て、ねぐらを得て、それは当たり前のことだったのだろう。 私が独りだけでただ生きても、それはそもそも意味があるとか意味が無いとか、そういうものではないのかもしれない。 最近は、そう思う。
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