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「えええええ~~っ!!」
車中から、とんでもない絶叫が聞こえて来た。
その声の主は、蓮だ。
余りに煩かったので、腕の中の向日葵が
「ま~!めっ!」
と云いながら、口を塞いだほどだ。
「ハハハ・・・そんなに驚く、程だよなぁやっぱり・・・・」
大熊は車を運転しながら頭をぼりぼりと掻いた。
その大熊の顔が、心なしか赤い。
「ゴメン、ホントはもっと早く伝えればよかったんだけどね・・。大伍さんの心の整理がなかなかつかなくてさ」
照れながらそう話す南の顔も、分かるほど赤い。
そして・・・首筋には大きな絆創膏が張られていた。
「まあ・・・これからは孝生と二人、夫夫(ふうふ)でこの事務所を盛り立てて行くから、よろしくな、蓮」
交差点での一旦停止のタイミングで、二人は後部座席の蓮にそれぞれの薬指を差し出した。
その指には・・・銀色の台にダイヤの嵌め込まれた、お洒落なペアリングがお揃いで付けられていた。
「うわぁ~、マリッジリング! 素敵ですね、おめでとうございます」
蓮は二人の報告を、我が事のように喜んだ。
嬉しそうな母を見て、向日葵も楽しそうだ。
キャッキャッと笑いながら、楽しそうにぺちぺちと手を叩いている。
「有難う、蓮君」
「おまえも、絶対に幸せになるんだぞ」
「はい!」
蓮はその後、目的地に到着する直前に南に小さく耳打ちした。
「・・今度、馴れ初め教えて下さいね」
「うん、君の参考には全然ならないと思うけどね」
二人は顔を見合わせ、密かに笑い合った。
「おいおい・・・俺に内緒話かぁ・・。あとで教えてくれよ~」
大熊が疎外感を感じ、少々むくれながら車を校舎の隅に停めた。
既にそこには数十台のトラックやロケバスが横付けされており、スタッフがセットの制作や道具の搬入に大わらわの状態だった。
そこは、数年前まで小学校の分校として使われていた校舎だ。
山の分校ではあるが、その廃校は鉄筋コンクリート造り三階建ての校舎一棟に、プールと体育館、野球位は出来そうなグラウンドが併設されている。
以前その分校は小中学校併設で、児童数も小中学校併せて150人程が在籍していた。
だがそれもピーク時の話で、閉校寸前の五年前には在籍している児童はたったの四人、中学生はもう20年前から自転車で麓の中学校へ通っていた。
少々山奥ではあるが、未だ廃校になってから数年足らず、建物の老朽化もそこまで酷くはない。
おまけに(意外ではあるが)都心に近く、駅からは東海道新幹線にも乗る事が出来る。
もう直ぐ開通し、運用の始まる第二東名高速道路が使えるようになれば、更に便利になる事だろう。
トータルすれば、利便性もそこまで悪くはない。
恐らくロケを行うには最適な物件だろう。
大熊は車のエンジンを切り車を降りると、車の後部トランクルームから大量のうなぎ
パイの入った紙袋を取り出して両手に持った。
「さ、挨拶回りに行こうか」
「はい」
向日葵は南に預かってもらい、そのまま蓮は大熊に促されるままに後ろをついて行った。
「・・・ふぅ。みんないい感触だったな」
大熊が汗を拭きつつ、校門前に急遽設置された自販機で蓮と自分に冷たい飲み物(麦茶)を買い、それを一気にあおった。
その後、隣に置かれたベンチに蓮と座り、蓮にもペットボトルの緑茶を差し出した。
意外に蓮は、緑茶なんて渋い物が好みらしい。
そのペットボトルの栓を捩じりながら開け、大熊に笑顔を見せた。
「ええ、皆さん僕のブランクの事、気にしてい無さそうでしたしね。本当に良かった」
蓮も買って貰ったお茶を、大熊に倣ってごくごくと飲んだ。
「お、良い飲みっぷりだな蓮」
「ああ~、美味しい~~~!!」
「さあ、後はメインキャストへの挨拶だけだ。それ飲み終わったら、行くぞ」
「そうですね。向日葵が待ってますから、さっさと片付けましょう」
「・・・へえ、”向日葵”ちゃんて云うんですか、あの子」
急に背後から、勝手に聞き耳を立てて会話に入り込んで来た者が居た。
二人が咄嗟に振り返ると、光と共にシャッター音が数回鳴った。
「ああ、ゴメンなさいね。聞き耳立てるつもりじゃなかったんだけど、勝手に耳に入って来ちゃって」
其処には、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた、見た事のあまり無い芸能ゴシップ専門の記者がカメラを構えて二人立っていた。
「・・・アンタ達、幾ら何でも失礼だろう」
二人の余りの無神経さに、大熊が露骨に顔を歪めた。
だが、二人は嬉々とした表情で逆に食いついて来た。
「だから、さっきちゃんと謝罪したでしょう。それとも、私達に言い掛かりをつけて食ってかかりたくなる程、先程の話題は”秘密”にしておきたかった・・・?」
「ああ! ならそこの所、詳しく話して頂ければ、こちらの方としても助かるんですがねぇ・・」
「くっ・・・・!」
大熊は社長のくせに、こういう連中に本当に弱い。
だから、それを分かっていて敢えて彼等は言葉をエスカレートさせているのだ。
「・・・社長、駄目です。行きましょう」
蓮は、大熊の目をじっと見てそう念押しし、荷物を持って立ち上がった。
「・・・ああそうだな、すまない」
大熊は怒りに拳を握り締めていたが、立ち上がると記者達には目もくれずにその場を離れた。
蓮は視線を合わせる事無く記者二人に深々頭を下げ、紙袋を持ってその場を離れた。
芸能記者二人は、蓮と大熊が建物の中に入って行くまで手をひらひらと振ってはいたが・・。
見えなくなった途端、
「・・おい、アレは脈ありだぞ」
「確かに。掘れば何かが出てきそう。・・ちょいと探ってみますかね」
二人は軽く視線を合わせてニヤリと笑った。
二人は、舘山寺温泉の高級旅館 弁天楼にやって来ていた。
其処は、昨日蓮が来人に連れ込まれた旅館だ。
その旅館の一室に、藍川の借りている部屋があった。
蓮と大熊の二人は今、その部屋にお邪魔している。
「ああ~、あの二人ねぇ・・。もう貴方達にも噛みついて来たの?困ったわね・・・」
[ZEX]の女社長、藍川が苦々しい面持ちでそう漏らした。
「・・・どういう事だ、教えてくれよ百」
大熊が、苛立ちと共に藍川に詰め寄った。
「ちょっと、その呼び方は止めて頂戴!もう貴方とは夫婦でも何でもないんだから、馴れ馴れしくしないで!!」
藍川が逆に、露骨に嫌そうに大熊を叱り飛ばした。
「あ、ああ・・そうだったな、すまない」
大熊が藍川の剣幕に押されて謝罪する横で、蓮が食い気味に二人に食いついた。
「・・待って下さい!えっ・・もしかして、社長の最初の奥様・・って」
大きな目を更に見開いて二人を交互に見つめる蓮の横で、「あちゃ~」と云う表情で藍川を見つめる大熊に、藍川からの殺意のこもった視線が容赦なく浴びせかけられる。
「・・すまん。つい・・・・」
すまなそうに視線を逸らす大熊に、藍川が大きな溜息を浴びせかけた。
そして蓮をひと睨みすると、如何にも「仕方無い」と云った面持ちで、口を開いた。
「仕方無いわね、私も・・口を滑らしちゃったし・・。・・・もう、こうなったら言うけれど。大伍と私、ほんの数年だけど夫婦だったのよ」
「・・・じゃあ、昨日のお話にあった成人された息子さんって・・・。大熊社長の息子さんの、輝(きらり)君ですか?!」
「・・・実は、そうなんだ」
大熊が頭をポリポリと掻いて、はにかんだ表情を見せた。
大熊にとって、彼は自慢の息子なのだろう。
しかしその話、蓮は不機嫌な藍川とは真逆に、やたら腑に落ちた表情をして何度も頷いた。
「・・どうりで!失礼ながら、社長のDNAからどうやっても輝君は想像がつかなかったって言うか。やっぱりあのモデル張りの均整の取れた肢体に、イケメン過ぎる小顔!絶対に藍川社長くらいのパーフェクトな美人からじゃないと、あの超絶イケメンは誕生しませんよね」
その一言に、藍川が露骨に機嫌を直した。
「まあ・・そんなに自分のDNAを褒めてもらうと、それはそれで悪い気はしないわね。ウフフ」
それとは真逆に、大熊がショックであからさまに不機嫌になった。
「蓮・・・お前、そんな風に思っていたのか・・・」
しかし蓮は長年の疑問が解けた所為か、なかなか口を閉じようとはしない。
「だって社長、考えてもみて下さい。短足胴長、命一杯サービスして7頭身の社長から、あの9頭身は生まれませんよ!それに社長、顔、バスケットボール位あるじゃないですか。輝君の顔、社長の3分の2も無いですよ。おまけに輝君、頭もいいし要領もいいし、仕事出来るし、ご飯美味しいし」
その辛辣な上に的を得た口撃には、藍川からタオルが投げ入れられた。
「もうその辺にしあげてて頂戴。これ以上この人苛めると、きっと再起不能になっちゃうから」
だが、そう話す藍川の顔は、かなりにやけていたが。
「・・・よく、息子は俺には似てないと言われ続けて来たが・・。ここまではっきり言われた事は無かったよ・・・。しかも、それを所属タレントから言われるとは・・・」
憔悴する大熊の横で、藍川が蓮に耳打ちした。
「貴方、意外とはっきりものを云うのね。フフ、本当に気に入っちゃったわ。昨日の話、やっぱり前向きに検討してみて頂戴」
「昨日の・・・ああ、引き抜きの話ですか?」
「ええ」
「おいおい、マジで勘弁してくれ!」
真剣に焦る大熊を、二人はからからと笑い飛ばした。
「やあね、本当に見る目無いんだから。こんなしっかりした子が、貴方みたいな駄目な人を置いて事務所を移籍なんかしたりしないわよ」
「ええ、僕は社長も南さんも、スターリングも大好きですから」
「・・南? 昨日いた弁護士の?」
南の名に、今度は藍川が食いついた。
「ええ、事務所の顧問弁護士をしてらっしゃるんです。社長、南さんとの結・・」
「あああああ~~! ま、待て蓮!!」
急に大熊が取り乱し、絶叫した。
「え?」
蓮は事務所の社長のご乱心に呆気に取られてしまい、次の言葉が出てこない。
「・・・・大伍、貴方何を隠してるの?」
すかさず藍川が大熊を思い切り睨みつけた。
「いや、隠し事は無い。無いよ、・・・無いに決まってるじゃないか、ハハハ!」
大熊は余程知られたくないらしく、頑なに口を割ろうとはしない。
と、両手をブンブン振る大熊の、その左手に光るリングに藍川の目が留まった。
「・・貴方、その左手の薬指の光る物は何?」
直後、大熊の身体が弾かれたように、数センチは飛び上がった。
「い、いやぁ~、指輪・・・かな?おっと、付け間違って、左に付けちゃったな~」
それでもしらを切り通そうとする往生際の悪い大熊に、藍川が痺れを切らせた。
「いい加減にして頂戴!はっきり言いなさい!!」
しかし・・その場で痺れを切らせたのは、藍川だけでは無かったようだ。
「・・・社長、それでは幾ら何でも南さんが可哀そうです。はっきり仰ってください、ご結婚の事」
蓮も、煮え切らない大熊の態度には感じるものが有った様だ。
大熊が認めたがらないキーワードを敢えて出して、彼を窘めた。
「僕も・・・もし、パートナーになる人から、自分の事をそんな風に言われてしまったら悲しいです。きっと南さんも同じだと思います。ちゃんと紹介してあげて下さい、お願いします」
息子より年下の、事務所のタレントから窘められて、流石の大熊もしゅんとしてしまった。
「そうだな・・・すまない。その・・・・実は、色々あって、その・・南 孝生という青年と、結婚する事になった。・・・報告が遅れて、スマン・・・・」
しどろもどろの元夫の報告を、藍川は大きな溜息で吹き飛ばした。
「・・・あのイケメンメガネ君も、こんなの相手じゃ苦労しそうね。きっと、相当仕事ができるんでしょ、彼」
「ええ、煩雑な業務なんかは何時でもほぼ、南さんが済ませて下さってましたから」
藍川は頭に手を当てて、もう一度大きな溜息を吐いた。
「あ~、もう! 何でこんな男の所にばっかり仕事の出来る子が行っちゃうのかしら! ウチの子達なんか、我儘ばっかりで扱いづらいったら!!」
蓮が藍川にニッコリと微笑んだ。
「きっと、藍川社長がしっかりしてらっしゃるから、皆甘えやすいんでしょうね。僕にすれば、羨ましい限りです」
「・・・ああ、もう~! 本当に、ウチに来ない?大伍にはもったいないわよ、こんないい子!」
「藍川社長のような方がそう言って下さると、僕は嬉しいです」
藍川は、大熊に向き直りじっと見つめる。
「・・・さっきのゴシップ記者二人、実は蓮君とウチの来人を探りに来てるらしいの。貴方達も、くれぐれもつまらない所で尻尾を掴まれない様にして頂戴。それと、此処で話した話は全てオフレコで。解ってるわよね?」
「勿論です」
「了解した。蓮達の事では連携させて貰う。頼む」
「ええ、それじゃまた」
二人が立ち去る前に、藍川は蓮に
「・・来人を許せるのなら・・・逢いたいと貴方が感じる事が有るのなら、私に連絡なさい。決して二人だけで会ってはいけない、約束よ」
そう念押しした。
「・・・はい、有難うございます」
蓮は軽く会釈をすると、藍川の部屋を後にした。
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