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<4>
「そっか、百瀬さんがそう言ってたかぁ・・」
ロケ現場に戻ると、ロケバスの中を借りて、南が向日葵を寝かしつけていた。
「向日葵ちゃん、ミルクお腹一杯飲んでおむつ換えたら、気持ちよさそうに寝ちゃったよ。とってもお利口さんだった」
頭を優しく撫でながらゆっくりと抱き起し、南が安らかな寝息を立てる向日葵を蓮の腕にそっと戻した。
「そっか、お利口さんだったかぁ。ゴメンね、一緒にいてやれなくて」
向日葵を腕に抱っこしながら、蓮は優しく微笑んだ。
「それより、台本覚えなくて大丈夫? もう明日から撮影開始なんだろう?」
「大丈夫です、僕は主役じゃありませんし」
南の心配をよそに、蓮は向日葵の世話を甲斐甲斐しく焼いている。
寝汗でじっとりとした肌着を取り替え、おむつをチェック、鞄の中を確認し、洗濯物やごみを仕分けておく。
そんな風にてきぱきと用をこなしてゆく蓮に、南も苦笑いだ。
「・・もう立派なお母さんだね、君は」
その一言に蓮が慌てたが、蓮より先に隣にいた大熊が動き、素早く南の口を押さえた。
「馬鹿、それは言うな!・・この現場にゴシップ記者が二人紛れ込んでるんだよ!」
「その一言、絶対使っちゃダメです!・・・嬉しいですけど」
二人の必至な形相に、状況を察した南が申し訳なさそうに項垂れてしまった。
「スタッフには、”蓮の妹”という触れこみにしておいてあるんだ。・・ほら、柚子さん今入院中だからさ」
「藍川社長も、葛城監督も、製作スタッフ上層部にも”妹”で通してくれと周囲に伝えて下さってます。ですから、僕たちが漏らしてしまう訳にはいかないんです」
「お膳立てしてくれた、百瀬の顔を潰す事にもなるしな」
「ごめんなさい、知らなかったから・・つい」
「いい、いい。これから気を付けてくれればいいんだ、なっ蓮!」
大熊が慌ててフォローに入ったのだが・・・蓮を引き合いに出すところに、やはり若干の頼りなさを感じずにはいられない。
それでも蓮は心の中だけに”苦笑”を封印して、もう一度南に向日葵を預けた。
向日葵は未だ眠い様で、目を開ける事無く南の腕にすとんと収まった。
「申し訳ありません、僕は共演者の皆さんに挨拶に回ってきますから。もう少しだけ向日葵をお願いします」
そう告げると残りの紙袋を持ち、その場を離れた。
その後ちらっとだけ後ろを振り返ると、大熊が南の肩を抱き寄せ、寄り添っていた。
(いいな・・・・あの二人の関係)
蓮は思わず、「もしも来人と自分があんな風に・・・」と妄想を巡らせてしまった。
今いる場所は・・セット裏の、人気のない薄暗い空間。
妄想は嫌が応にもエスカレートしてしまう。
(来人さんに肩を抱かれて、あんな風に寄り添ってもらえたら・・・)
(「蓮・・・」来人さんの唇が、重なって・・なんて・・・あああ、はしたないっ!)
急に何かがぞくぞくと背筋を這い上がり、顔がゆでだこの様に真っ赤に染まってしまった。
思わず、うなぎパイの紙袋を落としてしまった。
途端はっと我に返る。
「ああ!割れやすいお菓子なのに!!」
慌てて紙袋を拾おうとしたのだが、先に背後から手が伸びて来た。
そしてその手が先に紙袋を拾い上げ、蓮の前に差し出された。
「どうしたんだ、珍しくミスなんかして。大丈夫か?」
振り返った先に居たその声と手の主は、来人だった。
但し、ARRIVALのメンバーも一緒だったが。
「ひゃ・・・!あ、あ、ありがとうございます・・・」
(うわっ!なんて声出してんだ、僕)
紙袋を受け取りながら、蓮は更に真っ赤になっていく。
ARRIVALのメンバーは、昨日の事も有り・・・やや遠慮気味に背後に陣取っていた。
当の蓮は、昨日の記憶はかなり朧気で、彼等との接触で覚えているのは二つだけ。
また自分の身体に発情期がやって来てしまった事、そして・・・来人の手を強く叩き、乱暴な言葉をぶつけてしまった事だけだ。
だから、彼等を酷く拒絶してしまった事は記憶の中には残っていなかった。
彼等は蓮に遠慮気味に挨拶を行う。
「久し振りだね、蓮」
「今回は宜しく」
「また会えて嬉しいよ」
「昨日はごめんね、また仕事一緒に出来て嬉しいよ」
「昨日・・・?皆さんにお会いしましたっけ?」
キョトンとする蓮に、メンバーは訝し気に互いの顔を見合わせた。
(おいおい、どういう事だよ)
(記憶からも消去する程俺達を嫌いって事?!)
(いや、だったらこのフレンドリーな態度はあり得ないだろ)
(じゃあ一体、どういう事なの?!)
ひそひそ声で後ろで必死に情報交換する四人に成り代わり、来人は蓮に問いかけた。
「昨日、俺が此処に連れて来た事、覚えてないのか」
「覚えてます。但し、僅かにぼんやりとですけど・・。その・・・あの時は、ごめんなさい」
蓮の顔がまた、見る間に赤く染まる。
先程の妄想もあり、彼の顔をまともに見られない。
次第に俯く蓮の額に、来人はそっと手を当てた。
「顔が赤い。熱でもあるのか?だったら休んだ方がいい」
(・・わわわ・・・・)
額に手が触れた瞬間、蓮が目を瞑り、震えだした。
(心臓が飛び出しそうだ・・・どうしよう)
しかし来人は、震える蓮のその姿に、昨日の酷い拒絶とトラウマを重ねてしまった。
素早く手を引き、その手をギュッと握り締めた。
その拳が、微かに震えている。
「・・・馴れ馴れしかったか、すまない」
「・・・えっ・・・・」
蓮が顔を上げると、来人は辛そうな・・やるせない表情で蓮の前を去って行った。
「・・・よろしくな」
それだけを告げて。
来人の背後に控えていた四人も、軽く頭を下げてその場から離れようとした。
「あっ・・・あの!今回はどうぞよろしくお願いします。これ」
来人の態度にショックを覚えつつも、蓮は四人に紙袋を差し出した。
一番手前に居た、南里 麗音がその紙袋を受け取った。
「え、くれるの?」
「はい。急だったんで、駅前で買ったうなぎパイですが」
袋の中身を、麗音の肩越しから覗き込むのは王覇 樹利亜。
「ああ、これ俺大好き」
「何てったって、”夜のお菓子”だもんね~」
下ネタを弄るのは、巴 亜蘭。
昨日の事を殊更連想させるキーワードに、残りの三人が慌てた。
「こら!未成年にエロ発言はやめろ」
チームリーダーの葉室 呉伊がフォローに入る。
「ゴメンね、デリカシー無い奴で」
麗音もどうにか誤魔化そうと必死だ。
「・・ははは・・・・。相変わらず仲いいしコンビプレーが上手ですね、皆さん」
蓮は苦笑いしながら、四人のチームプレーを褒めた。
その蓮の言葉に険は無い。
四人は顔を見合わせて、頷いた。
リーダーの呉伊が、蓮に真剣な表情で突然頭を深々下げた。
「あの時はすまなかった。・・こんな言葉で済むような事じゃない事は承知している。だけど、本当に謝りたいんだ、すまなかった」
「俺からも、ゴメン」と、亜蘭が。
「会ったら必ず一番に謝罪したかったんだ。ホントにゴメンなさい」と、麗音が。
「すまなかった。どんな謝罪でもする、だから許して欲しい。・・お前の事が、本当に好きだから」と、樹利亜が。
「僕も」
「俺もだ」
「俺も」
四人の真剣な表情に、蓮は慌てて頭を下げた。
「いいえ、僕の落ち度もあった事です。・・・それより、質の悪いゴシップ記者がこのロケ現場に紛れ込んでいます。この話は、もうここで終わりにしませんか」
四人はいま一度顔を見合わせた。
「うっそ、マジか・・・」
「あいつら何処にでも湧きやがんな」
「は~いそういう発言禁止~。藍川女史にどやされるよ~」
「そうだぞ。彼等の一部が殊更過激なだけで、普段お世話になってる記者さん達は皆、良い人ばかりだろう」
「まあ確かに」
「ですが・・・先程お会いしたその二人は、お世辞にも好意的ではありませんでした。急にカメラを向けてシャッターを押したり、背後で聞き耳を立てていたり。・・・皆さんも気を付けて下さい」
蓮の忠告に、亜蘭が眉間にしわを寄せた。
「何だよそれ」
「腹立つ~。俺らを何だと思ってるんだ」
先程はフォローに回った麗音も、顔を顰めた。
「・・はいはいもうこの話はおしまい。蓮、情報ありがとうな」
きりがないので、呉伊が仕切りに入る。
「ええ、皆さんどうぞよろしくお願いします」
蓮はもう一度四人に頭を下げた。
「またな」
「明日からよろしく」
「蓮に”大根”て言われない様に頑張る」
四人は手を振り、その場を離れて行った。
と。
「何よ・・・あの四人と仲いいじゃない。何か、ズルい」
「ダメだよ、スミレちゃん!」
急に背後から少女の声がしたので振り向くと、そこには主演の結城スミレ、小桜咲知の二人が立っていた。
「あ・・こんにちは。今度、ドラマでお世話になる・・・」
それでも、蓮は冷静に頭を下げようとしたのだが。
蓮の話を全く聞かず、結城スミレが蓮につかつかと近づき、蓮の顔を両手で掴んだ。
「え?ええ・・・あの、僕何かしました・・・?」
蓮がやや焦りながら問いかけると、スミレは思い切り怒鳴りつけた。
「ええ、ホント困るわ。なんなの貴方のこの白い肌! 化粧なんかしなくても、十分綺麗じゃないの。おまけにこのビー玉みたいな大きな瞳!睫毛金色で超長いし・・。貴方本当に目鼻立ちが整い過ぎてるのよ!おまけに顔超小っさいし、手足超長いし。これじゃ私が、どうやったって負けちゃうじゃないの!!」
「・・・蓮さん、演技も上手だし下手な女の子より全然綺麗でしょう?ドラマで若手女優が何人も「喰われて潰されてる」って聞きました。だから、スミレちゃん焦ってるんだと思います」
と、ぼそりと咲知が呟いた。
「そんな・・・、僕はそんな事しません。確かに演技に熱が入り過ぎる事はあるけれど・・・」
余りに辛辣な上遠慮ない物言いに、蓮が困る。
しかし彼女たちの口は閉じる事は無く、ひたすら蓮を責め続ける。
「その上、主演のARRIVALとあんなに仲がいいなんて!絶対勝てないじゃん。・・・もう私、このドラマ降りたい・・・」
スミレは、涙を浮かべてその場から走り去ってしまった。
「ああ・・・」
流石に蓮にはどうにも出来ず、彼女が走り去るのをただ見送った。
その瞬間。
「・・チッ、降りるんならさっさと降りてくれりゃいいのに。マジウザい、あの女」
スミレが視界から消えた途端、咲知の態度があからさまに一変した。
”可憐な桜の妖精””学生皆の可愛い妹”などと呼ばれているキャッチコピーから、今の姿はおおよそ想像もつかない。
眉間にしわを寄せ、蓮をガン睨みしつつ
「・・・アンタ、どんな武器持ってんの。あのARRIVALのメンバーが、アンタにあれだけ頭下げて、気ィ遣うなんてさ」
そうドスの利いた声で呟く。
「・・別に、何も・・・・」
流石に”あの時”の事を、彼女に教える訳にはいかない。
お茶を濁してはぐらかそうとすると、胸ぐらを突然掴まれた。
「いい子ぶってんじゃねえよ! あのキモイ葛城のジジイにどんだけ捧げたか知らないけど、私を潰そうとしたらタダじゃおかねえからな、覚えとけ」
そう捨て台詞を吐くと、胸ぐらをつかんだ手を離し、突然ニッコリと微笑んだ。
「あ~ん、スミレちゃん待って~~」
そう呟きながら、彼女は走り去っていった。
(・・・内股、なんだ・・・・)
その走り去る背を見つめつつ、思わず彼女の内股過ぎる走りに、心の中で突っ込みを入れてしまった。
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