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1.あっちの道下手だから
朝、教室に入った瞬間からランドセル内の重力が軽くなって、その日に起こる瞬間的な破裂を僕だけに教えていた。
特別に、ちょっとだけ、先に。
天気予報みたいに、役に立たないから、僕は瞬間だけ背中で「おう」と挨拶をするだけだった。
教室のテレビがフラッシュする。
理科の時間や社会科の時間にNHK教育チャンネルをみるか、児童会選挙のテレビ演説以外には光彩を発しないテレビのはずなのに。
担任の羽田先生は気づいていない、教室内の僕らは多分全員気がついていた。
――リモコン入手したの?
――いやいや、あのテレビリモコン効かないよ。
――じゃぁ、なんでチョコマカ点いたり消えたりするのよ。
――まーさー、それより。
――メッセージを確認しよう。
教室内の目と口、僕を含めて三十四個。目はかける二、口はかける一。六十八個の目と三十四個のかけられなかった口が目の二分の一を喋り出す。ああ、だからいつもみたものに言葉は追いつかない。今度の自由帳研究の成果発表は楽になった。
――おもしろーい。
岡本さんが面白がる。
――きもちわりーー。
山田君が気持ち悪がる。
僕らが目撃したテレビのフラッシュ映像は、全員異なる断片だった。
繋ぎ合わせたテレビの閃きは、教室内の統一された人体の不思議を大人たちに覗き見されるように、意味になっていく。
――僕のみたのはアナウンサーだった。おばさんの、メガネかけたさ。
――私のは喋るゾウだった。アニメじゃなくて実写の。
――俺のはでっかいみかんがグルグル回転してるの。何十回目かのフラッシュのとき、とうとうみかんって人なんだと思った。
映画館でこうなら楽しいな、なんて気楽なことを僕は思った。全員で同じ画面をみて、全員で違うものをみたと言い合うんだ。あーあ、テストの点数が気にならなくなる最高の世界じゃないか。
放課後に、全員が教室に居残って、言葉を繋いだ。
――書記の真田さんが黒板に書いてってね。
――うん。
――最初は……。
――ばーか、俺の先にしないと意味わかんねーだろ。
――影卵、そう。
結果、明日の早朝影卵を売る謎の男が学校裏門側の高架下に出現するから、みんなお年玉の残りを持って買いに行くように。ってことだった。お年玉の残りは、僕はまだ二万円ちょっとある。なにに使うかも考えていない。幾ら、持っていくのがいいんだろう。
繋がったはずの目と口が、適当な繋ぎ目だけを残して散らばった。運動場へ、それぞれのクラブへ、下校の正門と裏門へ。放送部は放送室へ。
――坂本君さぁ。
――なに?
下駄箱で押山さんに言われた。
――私さ、あっちの道下手だからさぁ。
もじもじとしているのか、両手で履き替える運動靴をリズミカルに叩いている。
――明日の朝、一回ここに来てくれない? 坂本君裏でしょう。
正門側と裏門側で、ロミオとジュリエットごっこのつもりか、押山さんはブランドものの証としてのロゴを強調するように運動靴を叩いた。
――別に、いいけど、殆ど一本道だよ。
――うーん。
――散髪屋のとこで右に曲がればいいんだ。
――うん。
――わかんないの?
――うーん。
押山さんは俯いて、うんうん唸りながらそれでも運動靴を下駄箱の中で叩き続けるものだから、僕はまいった。このところ、父さんの四の字固めにもまいったしなくなったタフな僕がだ。
女子ってやっぱ、父さんより強い。
――わかった、六時四十五分にここな。
――ありがと。
押山さんの明るい笑顔が、正門を越えるまで、僕は赤いランドセルをみていた。今またテレビは教室でフラッシュしているだろうと、思った。
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