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   どんよりと流れる時間軸に身体が絡まっている。重い。窮屈だ。どこかに目の覚めるような刺激はないものか。  高校二年という学年はそんな鬱屈な中で始まった。  合唱部の練習がない日は、家でお祖母ちゃんが夕食の支度をするのを手伝う。  うちはお母さんとお祖母ちゃんと私の三人暮らし。おじいちゃんは十年前に亡くなっており、私の父親とお母さんは私が幼稚園のころ別れた。私にはあまり父親の記憶がない。  お祖母ちゃんが私の好物のナポリタンを作りながら私を覗き込むようにして言った。 「ユキちゃん、最近、気になることでもあるの?」  お祖母ちゃんにも見透かされているらしい。私は、カオリにした質問と同じ質問をお祖母ちゃんにもしてみた。  お祖母ちゃんは「フフフ…、ユキちゃんもそういうことを考える歳になったのね」と言いながら麺を湯に入れる。麺が気もち良さそうに円状に広がる。お祖母ちゃんは簡単にやるがこれが案外難しい。私はいつも感心しながら見ている。 「今は時代が変わったから、夫婦で協力して、子どもを育てるやり方もあるんじゃないかしら。お母さんだって働きながらユキちゃんを育てているじゃない」確かにうちのお母さんは仕事をしながら、私を育ててくれているが、うちにはお父さんがいないからそうせざるを得なかっただけだ。ちょっと違うと思う。  キッチンの小型テレビのCMで本田美奈子が楽しそうに踊っている。どうしてあんなに楽しそうにできるのだろう。 「学生のいいところは余計なことを考えずに、勉強や部活動に打ち込めることよ。中学生の時に見せたガッツを大学受験でも見せれば、ユキちゃんならきっといい大学にいけるわ。その後のことはそれから考えればいいのよ」  カオリと同じこと言ってる…。  だから、そのいい大学に行くことの意味がわからないと言っているのに…。 お祖母ちゃんの話はよくこういう展開になる。それが話術なのかどうかは分からないが、巧みに話がすり替わる。お母さんとお祖母ちゃんの会話を横で聞いていても、最後はいつもお祖母ちゃんのペースになっている。これが年の功というものか。会話の流れが緩やかな川の流れのように自然なので、つい油断してしまうのだ。  水分を吸った麺は気持ちよさそうにお湯の中で漂っている。私もこんな風にふにゃふにゃになって何も考えずに漂いたい。  トマトペーストの缶詰を開けながら、お祖母ちゃんが言う。 「悩みがある時にはショッピングをしたり、おいしいもの食べたりするといいわよ。頭の中でもやもやしていたモノがスーッと解けてなくなっていくのが分かるから。どお、日曜日、お母さんと三人でショッピングに行って、おいしいものでも食べる?」  お祖母ちゃんはたぶん、去年、私が高校の受験に失敗したことでいまだに気が晴れないでいると思っている。高校二年になった私にはもう過去のことだ。時の流れの速さがお祖母ちゃんとは違うのだ。 ナポリタンの甘酸っぱい香りの中で、私の悩みはもう次の悩みに移っているのに、と思った。 そんなもやもやした気分の私にちょっとした刺激が訪れた。  音楽の授業が終わり、教室を移動していると、後ろから男子に声を掛けられた。 「ユキ、ちょっといい? 話があるんだ」  五組の高木君だ。  伸ばした前髪の奥にジャニーズ系の整った顔立ちがにやけてる。二年生の多くの女子が密かに彼に好意を抱いているらしい。長身から私を見下ろして言う。  「今年の秋の文化祭なんだけどさ、時間とらせないから…」 女子の扱いはお手のものといった自信が全身から溢れている感じだ。これって、カッコいいっていうより、キザって言うんじゃない? 私はあまり好きじゃない。それにちょっと知り合いだからって、廊下で馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでと思った。みんが見ているじゃない。 お祖母ちゃんがいつも言っている言葉を思う。 「男は見た目とか肩書きじゃないよ。真面目でコツコツやるタイプが一番だよ」  はっきりとは言わないが、暗にお母さんの選んだ相手を批判している。私のお父さんのことだ。二枚目で格好ばかりつけていて、自分の考えを曲げない強引な性格だったという。小さな頃から洗脳されるように「男は見た目じゃない」という言葉を私は聞かされてきた。  その日の昼休み、早速、カオリに捕まった。私と高木君が二人で廊下で話していたという情報をカオリはもう掴んでいた。興味深々で聞いてくる。 「文化祭に向けてバンド組むから、ボーカルやってくれって言われた…」  カオリには隠す必要もないので正直に言った。 途端にカオリの顔が羨望の表情に変わった。カオリもやはり高木君に好意を抱いている女子の一人だ。 「それで?」  吸い込まれそうなほど二重の目を見開いている。 「考えておくって答えた」 「やっぱりユキはかわいいから得だよねぇ。それにいつもニコニコしてるから声もかけやすいし。私だったら、高木君にボーカルなんか頼まれたら、絶対、その場でOKだよ」  カオリの眼差しに串刺しにされそうだ。 「いつもニコニコ」というのはよく言われるが、そういう地顔なのだ。お母さんを見ていても、いつも笑ってるって思う。私もそれを受け継いでいるのだろうだけど、私だっていつも笑っているわけではない。心の中では泣いているときや怒っているときも多いのだ。  バンドの名前のことも言った。 「聞いてよ。そのバンドの名前、ブラック・ピーナッツって言うんだって。ダサくない?」  カオリがプッと吹き出した。
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