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照れは捨てる
さて、第八十六回目となる今回のお題は、「照れは捨てる」です。
以前、大学の仏文学の先生が「書くことは恥ずかしいこと」とおっしゃっていましたが、物語を書くという行為は自分自身を丸裸にするようなものなので、どのような内容にしろ、恥ずかしい行為であるのは否定できません。
しかし、「恥ずかしい」と思いながら書いていると内容が縮こまってしまって、本当に書きたいものを書けなかったりするので、「誰に何と言われても、これを書くぞ!」という開き直りが必要だと思います。
と言うだけなら簡単ですが、私も以前は照れてしまって、なかなか思うように書けませんでした。
今では照れるどころか、「よりセクシーな表現を極めてやる!」くらいの勢いで、魔王と神のプラトニックな絡みすら、平然と書けるようになりましたが。
これは勿論慣れもあるとは思いますが、それ以上に自分と作品を完全に切り離して書けるようになったことが大きいと思っています。
「自分のことではなく、あくまでキャラクターについて書く訳だから、ただキャラクターを尊重することに徹しよう。キャラクターの人となりや関係性を書くために必要だと思ったことは、どんなことでもしっかり書こう」と決めたら、それ以前の葛藤が嘘のように、凄く楽になりました。
あと、物語全体を俯瞰しながら、「それぞれのキャラクターをきちんと踏まえつつ、どう書くのが効果的か」と、頭をフル回転させて計算しながら書くようになると、「恥ずかしい」なんて考える余裕すらなくなるので、平気にならざるを得なかったというのもありますね。
まだ照れを捨てられていない方が、いきなり開き直るのはなかなか難しいでしょうから、まずは細かい計算をしながら書くようにしてみるといいのではないでしょうか。
頭は使い続けていると、使い方に合わせて最適化されて行く気がするので、ある程度は時間が解決してくれると思います。
「恥ずかしい」と思いながら書くのは、ストッパーががかってしまっている状態だと思いますから、そのストッパーを思い切って取り払ってみると、一皮剥けるかも知れません。
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