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第1話 凶事は向坂神社とたゆたう
向坂神社に四百人あまりの村人が一堂に会しているというのに、境内はシンと静まりかえっていた。
過疎が進んでいるせいか、顔ぶれは老人ばかりであった。しかしながら、十代と思しき男女の姿もちらほらと見えており、完全な過疎集落ではないのが窺える。
数多の老人が集まっているからなのだろうか。晴天にも関わらず境内だけは陰惨な雰囲気に包まれており、事情を知らない者を寄せ付けない空気が境内を支配していた。
そんな村人達は一様に畏怖と嫌悪とをない交ぜにしたような複雑な視線をとある人物に向けていた。
その人物とは、社の前に佇む巫女である神楽翡翠である。
今年で十三歳になった神楽は黒髪の凜とした表情の、美少女というのが相応しい巫女であった。神楽は村内では畏怖の対象になっているからか避けられることが多い。その容姿を褒めることさえ憚られる存在であり、恐怖を和らげるためにかような美貌を与えられたと囁く者も多い。
境内の前に設置されている台の上には、木で作られた小さな船の模型のようなものが鎮座していた。その船の上には、盛り塩、にぼし、榊、それと御神酒とが置かれている。
台の前にいた神楽はうやうやしい仕草で榊を手に取り、社に対して、強いていえば、その奥にいるであろう神様に深く黙礼した。
巫女が一度礼をしただけで、村人達が一堂に息を呑んだ。
今日は、年に一度の天津祭なだけに皆緊張しており、何も起こらなければ、と思っている。
「依代、我が身なりて、ちはやぶるかしこき神へと献上いたしまする」
頭を上げ、祝詞を詠むようにそう口にしてまた黙礼をした。
「我が声きこしめしたまう……」
神楽はそこまで詠み上げたところで口を閉ざした。
巫女が祝詞をあげるのを止めた事で、村人達に動揺が走り、ざわめきが波のように広がっていった。
「……今、何と申しましたか?」
神楽が不意に頭上を仰ぎ見て、何者かに確かめるようにそう呟いた。
「祭は不必要……と?」
神楽の声で村人達に動揺が一気に伝播して、どよめきが波のように発生していった。
「どうしたというのだ?」
天津祭に不穏な空気が漂い始めた事に気づいた、本家の当主である秋津島源藏が村人達の中から出てきて、不可解な行動取り始めた神楽の事を見ながらそう言った。
「声が……」
神楽は天を仰いだまま、そう呟いた。
「聞こえたのか!」
幾分興奮を隠しきれず声を上ずらせながら言った。
「……かすかに……声が……」
神楽はどこから声がしたのだろうと気にしているのか、周囲を確認するように何度も何度も確認していた。
しかし、どこからか分からなかったため、幾分当惑気味であった。
「ま、まさか! し、しかし、今日は天津祭であるぞ。あ、あ、天津様がお怒りになるなぞない……はずだ」
秋津島源蔵の興奮がいつのまにか、畏怖へと変化していた。
その源藏の心境の変化はどこから来たものであるのか、村人達にも、神楽にも分からなかった。
「しかし、現に」
神楽が言いかけるのを、源藏が手で制した。
「言わずとも分かっておる。つまり、これは……」
その時であった。
「……まさか空から?」
神楽が再び空を見上げる。
雲一つない晴天であった。
そこに何かあるはずもない。
神楽のその行動を待っていたかのように空がピカリと光った。雷鳴が轟き、一線の光が向坂神社にある御神木へと向かって落ちていく。ドン、という衝突音がした後、御神木がぱっくりと割れ、巨大な木片が境内へと倒れていく。
村人達は狼狽して悲鳴を上げながら、倒れてくる大木を避けるように蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出していた。
「あ、足が動かん! こ、こ、これが神罰なのか!」
源藏だけは一歩も動かずにその場に佇んでいた。
足がすくみ動けないのか、倒れてくる大木をじっと見上げる事しかできてはいなかった。
源蔵の身体が倒れてくる木の陰に隠れた。
数瞬後には、その身体が倒れてきた御神木に叩きつぶされるようにして地面へと打ち付けられた。境内が揺れるほどの振動が起こるも、御神木の下敷きになった源蔵は、
「やはり……裁かれるべきはわしか……」
そう呻いて、血の涙を流しながら絶命した。
源藏が息を引き取ってからしばらくして、倒れてきた御神木を避けるようにして境内から出ていた村人達が再び境内の足を踏み入れて、恐る恐るといった様子で御神木に押し潰されている源蔵の近くに集まってきた。
村人達は源藏の死体を犬か猫の死骸でも見るかのように他人行儀に眺めながら、呟くようにこう言い出した。
「源蔵がせめられた……」
「天津様からせめられるとは……」
「……あの噂は本当じゃったのう」
「源蔵がせめられた、源蔵がせめられた。ダムか。ダムでこの村を沈めようなどとするから……」
「激怒しているのだ。ダムでこの村を沈めようとしているのだから……」
その後、村人達は一様に社に向かって土下座をし始めた。
その姿は、必死になって何者かに許しを請おうとしているかのようであった……。
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