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それから更に数日が過ぎた。
この日は朝から少し怠くて、熱っぽいような気がした。竜王は案じて部屋で静養するようにと言い、布団の上にいる。側には朝から鯛がいて、側の部屋には河豚も控えてくれている。平目も戸の側に控えていた。
「お加減はいかがですか?」
「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。少しそんな気がしただけですから」
お腹の子も元気に動いている感じがする。
「竜王様もとても心配しておりましたし」
「うん、そうだね。心配だからお勤めしないって言い出した時はどうしようかと思いました」
駄々っ子のようだった。
鯛は笑ってお茶を淹れてくれる。温かな飲み物はほっこりして有り難い。
「それだけ、愛されているということです。それに私も、案じておりますよ」
「はい。有り難いです」
「そろそろ昼餉の時間ですね」
鯛の言葉に平目が反応して立ち上がり、部屋を出て行く。入れ替わりに河豚が入って問診や触診をして……少しだけ、難しい顔をした。
「どうしたの?」
「いつもよりも動いていますし、動きも大きな感じがあります。痛みませんか?」
「あー、うーん? 痛みはないですが……」
「産まれそうなのですか、河豚?」
「今の段階ではなんとも。直ぐに、という可能性もまったくないとは言えませんが……」
「あっ、でも近々という感じなんですね」
そうか、とうとう会えるのか。
なんだかとても楽しみで、浦島は自分のお腹を撫でる。それに呼応するように、また中の子がお腹を蹴った。
それからしばらくで、平目が食事を持ってきてくれる。美味しそうな和え物に、彩りのいい煮物、ダシのきいたお味噌汁とご飯、そして焼き魚。この焼き魚というのはいつも思うが食べにくい。彼らは気にしていないようだが、やはり同族を食べている気分になるのだ。
そして、それでも食べてしまう烏賊の料理の上手さ。塩や酒、味噌もちゃんと使っているから味がしっかりしている。
それらを美味しく半分ほど食べた辺りで、急にお腹の中が引き絞られるような痛みがあって、浦島は思わず箸を置いて呻いてしまった。
「浦島様!」
「んっ…………大丈夫」
痛みは少しして引いたが、食事を進めるとまた時々痛む。まるで腹の中で雑巾絞りをされているみたいだ。
河豚が「もう少しかも」と言っていたし、食べられるうちに食べておかないと体力がもたないかもしれない。詰め込んで、後は横になることにしてしばらく……あの雑巾を絞るようなギュゥゥゥゥとした痛みは断続的に、でも確実に強くなっている。
寝てしまえば少しは楽だろうか。そう思い目を閉じるがどうしても我慢が出来なくなってくる。腰骨がギシギシしてくる。もしかして、これが……。
「浦島様!」
「い…………たぁ……」
「河豚、診察を! 平目は直ぐに竜王様にお知らせ! 私は念のために磯巾着を用意しておきます!」
直ぐに河豚が駆け寄って、「失礼します!」と言いながら浦島の足を大きく開きそこに指を入れていく。快楽には慣れているはずなのに、今は痛みしかない。
平目は静かに走って出て行き、鯛も慌ただしく出て行く。河豚と二人きりの中、彼が指を中で動かす度に痛みは増していった。
「あぐ! いっ…………っっっ!」
「まだ力を入れないでください! あぁ、こりゃかなり深いし大きい……出るのにまだかかる」
「そ…………なぁぁ……っ」
大きな大きな塊が下に降りていくのに、つっかえて出てこない。そこを無理矢理通そうとすると痛くて痛くて無理だ。
「いいですか? 無理に踏ん張ると子袋がズタズタになって血が止まらなくなる。子が生まれれば自然と出てきて元のお体に戻るとはいえ、今は貴方の体にしっかりとくっついている臓器の一つだ。血も出るんだ。無理せずゆっくり、深く息してくれ」
そんな事を言われても、この絞られる痛みはそのまま踏ん張りたくなってしまう。息を吐いても浅くて、ブルブル震えたままだ。
そうしているうちに廊下が慌ただしくなり、青い顔で飛び込んできた竜王が枕元にきて手を握る。自分以上にオロオロした人を見たら、少し冷静さが戻ってきた。
「太郎、しっかり!」
「は……はひぃ……」
どうにか頑張って息を吐く。オロオロしている竜王が腹に手を当てると、そこがぼんやりと温かくなって気持ちいい。不思議と痛みも少し引いていく。
「少しは楽か?」
「はぃ……少し、だけっ!」
「怪我ではないから、私の癒やしも多少痛みを和らげる事しかできない。すまない」
「温かくて、気持ちいいですよっ」
これで少し息ができる。はぁはぁと息をしながら耐えている間に、鯛はあちこちから色んなものを部屋に持ち込んだ。大きな盥にぬるま湯の準備、おくるみに産着にさらしに手ぬぐいを大量に。
「浦島様、気を確かに。何か欲しいものはございませんか? 明日の菓子は何が」
「落ち着け鯛、今は菓子の話はいいから!」
「ですが、何事も飴が必要ではありませんか河豚!」
「お前さんの調教の話ではないんだよ!」
こんなやり取りをする鯛と河豚に、思わず笑ってしまう。そうしたら少しだけ、入っている力も緩んでずずっと腹の中が降りてきた。
「っ!」
「浦島様!」
「ははっ、大丈夫……俺、明日は小豆が食べたいです……」
「っ! 烏賊に伝えておきます」
「はい」
鯛が嬉しそうにして、ギュッと手を握った。一つ勇気をもらった気がして、浦島も頑張れるような気がする。
だがそこから数時間この状況は続いて、河豚も思ったほど進んでいないと言う。初産なうえに、色んな事が異例だから読めない。長丁場を覚悟していると、不意に廊下から何か言い合う声が聞こえた。
「いって! この蛸野郎、離しやがれ!」
「人の話を聞け! お前の助けが必要かもしれないんだ!」
「てめぇのクソしつこい足に絡め取られて連行されて、んなこと知るか!」
ぐったりした中で聞こえる声は間違いなく蛸なのだが、もう一つは知らない。
その声は近づいて、蛸の「失礼します!」という声で戸が開いた。
蛸はまったく知らない……なんだか、ごろつきのような若い男を捕まえていた。派手な柄の着物に前もだらしなく開いたその人物は、水色の短い髪に鋭い目つきをしていて、歯もギザギザで少し怖い。この辺では見たことのない人だった。
その鋭い目が浦島や他の面々を素早く見回し、途端に飛び跳ねるように驚いた。
「おっ、おい大丈夫かよ! マジで竜王のお産とか……冗談かと思ったぜ」
「鮫! どうしてお前が」
鮫? そういえば、あまり見ない。
彼はぱっと蛸の側を離れて少し乱暴に河豚をどかせると、手を綺麗に洗ってから躊躇いなく浦島の腹に手を突っ込んだ。
「うぎぃ!」
「あー、硬いか……。おい、ずっとこんなんか?」
「あぁ、数時間様子が違わない」
「マジかよ……おいあんた、ちゃんと腹の具合に合わせて息吐いてるか? 踏ん張るのは厳禁だが息を逃がさないとお産すすまねーぞ。腹のガキだって出たがってんだ、しっかりしろ!」
「少し痛みが、遠のいていて……」
「あぁ? 飯食ってんのか」
「昼は……っ!」
「ちっちゃな握り飯でも何でも持ってこい! おいあんた、痛みが引けてるなら食えるな? 食ってから本番いくから気合い入れろよ」
浦島が頷くと、鮫はずぽんと手を抜いて洗う。そして、呆然とする周囲を一睨みすると腕を組んで一喝した。
「ぼさっとすんな! お産はこっからなんだぞ!」
「!」
それに、鯛も平目も動き出す。蛸だけは状況を説明するために残ったが、河豚までもが必要そうな物を取りに出ていった。
「あの……」
「すまない、浦島殿。だが、人化での出産ならば鮫が役に立つと思って協力を頼みに行ったんだ」
「あれが人にお願いする態度かよ蛸野郎」
「お主が人の話を聞かずに逃げようとするからだろ!」
「嫌われ者の俺達が竜宮の蛸に話しかけられるなんざ、しょっ引かれる以外ないと思うだろうがよ!」
もの凄く口はわるいが、悪い人には感じない。痛みに耐えながらも笑うと、鮫が鋭い目で睨んだ。
「余裕そうじゃねーか」
「竜王様が痛みを抑えてくれていて……」
「あぁ! それでお産が進まないのかよ! おい、竜王様よ! 飯食い終わったらそれやめろ! いつまで経ってもガキが出てこねーぞ!」
「あっ、あぁ……すまない」
「ったく、甘やかしてんじゃねぇ」
胡座をかいて怒鳴る鮫に、竜王までもが申し訳なさそうな顔をする。それはなんだか意外で、ちょっと面白かった。
「いいか、子袋の口がしっかり開いたら一気だ。痛くても踏ん張れよ」
「はい」
「頼もしいだろ? この鮫は腹の中で子を育ててから産み落とすんだ。ならば河豚よりも詳しいだろうと思って」
「頼もしいです、鮫さん……」
「……おう」
少し照れたのか、頬がほんのり赤くなる。
隠して小さな握り飯が到着し、それを食べられるだけ食べて痛みが増したところで、本格的なお産と相成った。
人であった時、村の人々は「お産は命がけ」と言っていた意味が分かった。
「おら! しっかり息吐け!」
「ひ! うぃぃぃぃ!」
「よしよし、いいぜ。やりゃぁ出来るじゃねーか!」
「う…………うっす……」
荒っぽい鮫だが色々的確で、食後ドンドン痛みが増して今はちょっと朦朧としている。竜王は不安そうに手を握ってくれていて、それも一つの励みだ。
「にしても、ガキがデカいな。いい感じに開いてきてるってのに、引っかかってやがる」
「で……ないんです、か?」
「んな心配そうな顔すんな。なんとかする」
河豚は後の方で色々と準備をしている。薬の壺や綺麗な布やら…………刀は何につかうの?
そうこうしている間に痛みが更に強くて、ぐぐっと落ちてくる。途端、股がざっと濡れて我慢出来ない痛みが襲った。
「ちっ、まだ完全じゃないが水が零れる。ゆっくりしっかり腹に力入れて息吐き切れよ!」
言われた通りにしていると、ずずっと下がってくる。竜王を受け入れたよりも大きくて、何かザリザリと引っかかるものを感じる。時々その何かが腹の中を引っ掻いて痛いが、それで止まるわけではない。早く出せと言わんばかりにギュッ! と締まって出ていく。
「! おい、半人化じゃねーか! 待て浦島! 止まれ!」
「む……無理…………」
「血が! 止血の薬!」
「ただいま!」
辺りがとても騒々しいが、少し遠い感じがする。浦島の意志とは関係なく、産まれたいんだというものを感じた。
引っかかり、そのまま最後の息を吐ききると急に体が楽になった。ジンジンと全てが痺れて力が入らないけれど、大きく元気な産声だけはよく届く。ほっとしたら急に、眠くなった。
「太郎ダメだ! 寝るな!」
お腹の辺りが、ぽっと温かい。ゆっくりと楽になる感じがして、ほっとする。
「止血! よりにもよって角と背びれかよ……早くしないとヤバいぞ!」
「鯛、御子を頼む!」
「分かりました!」
色々されている感じは掴まえている。でも、全体的に感覚は鈍い。ぼーっとしていると、頬にふわりと何かが触れた。
「浦島様、御子ですよ」
産湯をもらっておくるみにくるまれた子は、綺麗な深い青い髪をして、頬はふっくらと柔らかそうで、可愛いけれど竜王に似ている気がする。きっと、目は金色なんだろう。
「へへ……可愛い、ね……」
「はい、大変可愛らしいです」
泣きそうな鯛の、それでも泣かないと頑張っている顔は久しぶりに見た。
とても疲れた。眠くてもう、仕方が無い。ゆるゆると目を閉じたらもう開かなくて、浦島はすっと深い眠りに落ちていった。
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