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第2話. 画家と家族
「今日はいい知らせがありますよ、ハボットさん。つい先ほど連絡がありましてね、実はようやく空きがでたみたいなんです。再来週20日の午前です。もちろん、予定は調整してもらえますよね。はい。お願いしますよ?・・・では、来週また定期健診でようすを見て、再来週は19日に事前確認のため、もう一度いらしてください」
医師は矢継ぎ早にまくしたて、私は頷いているだけで会話は終わった。その内容は私の理解速度をはるかに上回るものであったが、会話の終始にばらまかれ続けた医師の笑顔のためか、私にとってなにかいいことが起きていることだけは大体伝わった。
帰り道、ここ数ヶ月ぶりに妻の上機嫌な顔を見た気がした。
半年前、妻の圧力に屈して仕方なく受けた健康診断で、私は癌の宣告を受けた。それはあまりにも唐突な出来事だったせいか、どこか他人事のような感じがして、むしろ隣で泣き始めた妻に私は困惑した記憶がある。
「帰ったらマシャリーにも教えてあげなきゃ。あの子ったら、ああ見えて心配をしているはずだから」
妻は嬉々としてそう言うが、それは私に気を遣って言ったことに違いなかった。なぜならマシャリーは私のことが嫌いだからだ。もはや嫌いということさえも、言って貰えないほどに。少し思い返してみても、彼女が家を出てからは、まともに会話らしい会話をした記憶がない。―もっとも、彼女が家にいた最後の数年間も、家族らしい触れ合いがあったかと言われれば、何歩譲ったところであるとは言えないだろうが。ましてや、私が癌であることがわかった時も、彼女は連絡ひとつよこさなかった。もはや、娘にとって私はすっかり関心の対象から外れているのだろう。
最後に会話をしたのは一体いつだっただろうか―
それはマシャリーに子どもが生まれた時だった。その時ばかりは、私と娘の間にできた溝に修復の兆しが見えたようだった。思えばそれが最後のチャンスだったかもしれない。
病院の一室で私はスケッチブックと鉛筆を手に取っていた。幸せそうに微笑む母親と赤ん坊の姿を残しておきたくなったからだ。しかし、それに気づいた途端、娘の目は汚いものを見るかのように蔑んだ色を帯び、私の視界から遠ざけるように赤ん坊を隠してしまった。
それを機に、私はマシャリーに干渉する希望を失った。
考えてみれば、それは仕方のないことだったのかもしれない。私は父親らしいことを全くしてこなかった。娘がまだ幼く、父親の愛情が必要であった時、私はなによりも絵を描くことに執着していた。マシャリーのことが見えていなかったわけではなく、きっと―見ていなかったのだ。
そして今もなお、冷め切った娘との関係や、自分の容態のことなどよりも、描きかけで家に置いてある絵のことの方が気になっている始末だった。
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