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私は女性から出る一字一句を心に刻み込むように耳を傾けていた。
その絵は私がまだ若い頃、杉の木を背景に幼かった娘と妻を描いたものだった。この時まで、すっかりこの絵のことなど忘れていた。しかし今、あの日の光景は再び目の前に浮かび上がっていた。私に向かって笑いかける2人の姿が。
ほかにもいくつか私の絵が飾ってあった。どれも最新の時間固定装置で保護されているのだ―と女性は自慢気に話した。
女性はこの画廊の主人だった。彼女はどの絵に対しても深い愛情を持っていた。その言葉を聞くたびに、私は何度も頬を濡らすのだった。けれど、そのたびに私は顔を隠す必要はなかった。というのも、どうやら彼女は目が見えていないようだった。彼女は光を失う前に見た絵画の細部に至るまでを、まるでそれが今も見えているかのように鮮明に記憶しているようだった。
「あなたも絵を描くのですね」
それは質問というよりも確認するようだった。不意に尋ねられた私は、涙で震える声を抑えるので精いっぱいだった。
「まあ、少しは・・・どうしておわかりに?」
女性ははにかんで言う。私が泣いていたことも、彼女はわかっていたのかもしれない。
「私の父も画家だったのですが、子どもの頃はよく父に引っ付いて、絵を描いているのを見ていました。そのせいもあって絵の具の匂いに慣れていたんです。父はいつも絵の具の匂いをさせていました。手なんかはきれいに洗っていても匂いが落ちないんですよ。私はよくそれを臭いなんて言ってはいたものの、その匂いが好きでした。あなたからもそれに似た匂いがします」
「―決してあなたに臭いと言っているわけではありませんよ」そう慌てて付け足す彼女と、一緒になって私は笑っていた。こんなふうに笑ったのも久しぶりのことだった。
ひとしきり笑うと、私たちは再び静かにその絵を見始めた。ゆっくりと時が過ぎていく。放っておけば、いつまでも居られそうだった。
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