熾火

3/18
335人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
 ヤクザに家土地を獲られた翌週には学校に退学届けを出し、宅配便のバイトをしながら安アパートを借りて、母と一緒に住んだ。  親戚だってそれぞれ育ち盛りの子供を抱えて手一杯で、援助なんて頼めもしなかった。親父の自業自得だとこっちだって判ってたし、皆の俺たちに対する目も同情の余地はないとばかりに冷たかったからだ。  母はアパートと病院との往復を続けて甲斐甲斐しく看病したが、親父はそれから二ヶ月もしないうちに死んだ。看病疲れと心労がたたって、母もその三週間後に倒れて息を引き取った。  両親の葬式を何とか出し、ひとり取り残された俺は悲しみにひたる暇もなく、バイトを続けるしかなかった。  本当は大学にも行きたかったけど、生活だけで精一杯だった。  高校だって中退だから、最終学歴は中卒になる。そんな俺にまともな職場なんてなくて、宅配便のバイトだって支店長がいい人だったから俺を雇ってくれたようなもんだった。    入った当初は荷物の仕分けだったけど、免許を取ったらもっと稼げるぞと支店長に勧められ、俺は免許を取って、宅配トラックも運転出来るようになった。おかげで正社員になれて少しは収入も増え、貯金も貯まり始めた十九の冬ごろ、休みの夜にコンビニに行った帰り、道端に止まっていたベンツにいきなり押し込められた。 ※ ※ ※  俺を車に放りこんだ男が運転席に座って車が発進したが、唖然としている俺に、広い後部座席の向こう側から声が掛かった。 「久しぶりやな、坊」 「…あんたは…」 「覚えてへんかも判らんが、あんたの家に権利書を貰いに行った男や――あれからご両親は亡くなったそうやな…気の毒なことやった」  覚えていないわけがない。  あの時の迫力、鋭い瞳、端正な風貌。  家に来たヤクザたちの中で、憎もうとしてもなぜか憎めなかった唯一の男だった。  だからって俺の家をめちゃめちゃにした奴には変わりがない。そんな奴から悔やみなんか言われたくもなかった。 「あんたに言われたって慰めにもならないよ、それよかこれは何だ? 家と土地を獲った以上、俺にはもう縁がないはずだ」 「そうや、縁はない――俺の気紛れに少々付き合うてもらうだけや」 「………」  下手に暴れて怪我させられてはたまらないし、明後日からはまた仕事だ。  そう思って俺はだんまりを決めこんだ。  男もそれきり何も言わず、運転手が黙々と運転するのに任せている。  どうやら市内の方に行くらしかった。  繁華街から逸れた閑静な高級マンションが建ち並ぶ一帯に、ひときわ高そうなマンションがある。  そこの地下駐車場に入って行くと、車が止まった。 「ご苦労やった、竹野――あとは俺がやるからええ」 「はっ、それでは」  運転手は男にそう言われると、別に停めていた車で帰って行った。 「坊、こっちや…エレベーターに乗らんと、部屋には上がれへんで」  寒いアスファルトに突っ立っていると、男がおかしそうに手招きする。  ヤクザとして俺に接していると言うより親戚の子供でも相手にしているような態度で、それについ俺も気が緩んで、用心しつつも男と一緒にエレベーターに乗った。  七階で降り、広いフロアに一部屋しかない入口に鍵と暗証番号を叩いて、ロックを解除する。  この一等地に、駐車場の入口も、エレベーターも暗証番号を入れないと入れないほど厳重な警備のマンション。  いかにも金を持っているヤクザらしい。  俺たちのような哀れな家庭から金をむしり取ってはこうやって稼いでいるんだなと忌々しくなったものの、怨む気持は半分程度だった。  すべての元凶は親父の弱さ。騙された側が悪いのだと、半分諦めていた部分もあったから。  部屋の明かりが点いて、見たこともないような広い室内が眼前に広がる。  映画で見る外国のお屋敷みたいなもんだった。  柔かい照明とアイボリー系のベージュで統一されたインテリアのせいだろうか、張りつめていた心がほっと落ち着くような雰囲気の部屋だった。 「坊、コートくらい脱いでも大丈夫やで、暖房付けてるからな」  言われる通りにコートを脱いでしまった。脱いでから、何でこんなに言うことを聞いちまうんだと自分で呆れたくらい素直に。  手渡されたコートを男は自分のと一緒にハンガーに掛けてくれた。  皺にならないように、特に俺のは丁寧に扱っている。  そんなにしなくったって、一目で仕立てと判るあんたの黒いカシミアと違って、俺のは五千円もしないんだぞと心の中で呟く。 「夕食はもう食べてるか?」 「ああ」 「なら一緒やな…まあそこらに座り、酒でも飲むか」  すっかりこいつのペースだった。  なぜここに連れて来たと尋ねるのをやっと思い付いたのは、男がブランデーの瓶とグラスを二つ抱えてテーブルに置いて、俺の目の前で飲み始めてからだ。 「縁もないのに、俺に何の用だよ? 金だって払い終わったはずだ、あれだけじゃ足りなかったってのか?」 「いや、充分やった…親父さんが負けた七千万、完全にあれで事足りた」 「だったら何故」 「坊のことがずっと気になっとってな…せっかく有名校に通っとったのに家を潰させて、済まんことしたと思うとったんや」
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!