熾火

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 俺は相変わらず宅配便の仕事を続けたけど、戸倉さんとは休みの日には必ず逢っていた。あの人も忙しいだろうに、都合を付けて必ず俺をマンションに呼んで、一緒の時間を過ごした。  そりゃヤクザだから、部屋には銃もあって、目に触れる場所にも置かれていたが、俺は気にしなかった。  まず最初にあの人。周りの器物なんて物は二の次、三の次だったから。  寝室に直行する時間すら惜しくて、居間で押し倒されたことだってあるけど、俺も喜んでそれを受け入れた。  部屋のセキュリティーがややこしいから、俺をマンションに入れる際は外で待ち合わせて、それから並んで入るようにしていた。  組の人間でも、竹野さんが内装を担当したとき以外は誰も入れていないらしい。  ベッドで俺の頭を肩に抱きながら、戸倉さんがそう言ったことがあるのだ。 「綾人しか入れとうない――ここは俺の城やからな」 「お城だな、ほんと…俺のアパートは召使部屋程度かな――隣の人が電話しているのも筒抜けで困るよ」  戸倉さんはそうかと最初は真面目に聞いていたのだが、そのうちに噴き出した。 「俺が坊の部屋に行ったら大変なことになるな」 「なんで?」 「そこで坊を抱いたら、それも筒抜けやろ…けど坊の声を隣に聞かせたい気もする、ほんまに可愛らしいから」  そういう意味だったなんて。  かあっとなって、思わず大声を上げた。 「戸倉さん ! ! 」  俺が本気で怒っても、彼は笑い転げる一方だ。21も違えば、この人にとって俺は掌で転がせる子供同然だろう。  とにかく何をやっても、何を言っても、俺のすることなら何でも戸倉さんは楽しいらしい。物を食べている時や、服を着替えているところとか、そんな些細な時でも俺を穏やかに見つめ、微笑んでいた。 「飽きんのや、坊がやってること見てるとな――無邪気で、俺まで嬉しなる」  あんまり見つめられたら照れるよと言ったら、戸倉さんはそう笑った。  ここ数年はずっと敵対している組との小競り合いが続いているそうで、普段は相当神経を磨り減らしているのは俺にも薄々読み取れる。  セキュリティーが厳しいこのマンションに移ったのも、その関連のはずだ。  彼は俺と一緒の時は組の話題は一切持ち込まず、大変な事も口にしない強さを持っている。  でもそれがつらい時だってあるだろう。もし俺の存在が少しでもあの人を安らがせることが出来ているなら、それで俺は満足だった。 ※ ※ ※  出会って半年ほどはそうして順調な日々を送ることが出来ていたのに、俺をマンションに呼んでいた夏のある日、昼過ぎに電話が掛かった。敵から何かいざこざを仕掛けられたらしく、若衆がどうしましょうと指示を仰いでいるらしい。 「俺が出る幕でもないやろ、竹野あたりを行かせたら10分で片が付くやないか」  戸倉さんは、地位が高い自分が出るとかえって事態が大きくなると、自ら収拾に当たるのは乗り気ではない様子だった。  しかし何らかの指揮を取らないと結局収まらないと踏んだのか、判った、今からそちらに行くと電話を切った。  不安を隠さない俺に、大した事やあらへん、すぐに帰るからなと戸倉さんは笑い、軽く俺の唇に口付けしてマンションを出た。  あの人が部屋を離れる際、俺は絶対に外出しないようにと言われていた。  暗証番号を知らされていなかったから、オートロックのホテルで締め出されるのと同じだったし、外に出てもし何かあったらいけないからと言うのもあった。  番号を教えてもらえなかったのは、俺が信用されていなかったからではない。俺が一人でマンションを自由に出入りする姿を万一敵に見られたら、暗証番号を吐かせるために誘拐されて酷い目に遭わされる可能性が大だと、戸倉さんが絶対に教えなかったのだ。  俺と戸倉さんの関係を知っているのは、身内では竹野さんだけだった。  彼のことは若衆の中でも一番信用が置ける堅い奴やと戸倉さんが常々言っているので、俺も何となく好感を持っていた。  けれど仲間内ならともかく、他組織の誰かが俺達の間柄を知れば、当然俺が狙われやすくなる。だから外で待ち合わせる時もあの人は用心に用心を重ねて、目を付けられないようにしていた。  けれどこうしてマンションに一人でいると、自分の非力さが嫌になった。  かごの中の鳥。  護られてばかりの、何の力にもなれない自分。  俺との関係は、あの人には余力を取られることでしかないのではと、惨めになった。  何をしても、テレビを観ても音楽を聴いても散漫で、いらいらして電源を切った。  早く帰って来てほしい。  何か大変なことになっているのではないかと心配で心配で、じっとしているのすら苦痛だった。  心配と言うなら普段でも同じだが、大抵は仕事が忙しくて取り紛れているから少しはましなだけ。今は静かな部屋に一人きりなので、よけいに悪いことばかり想像してしまって、うろうろと部屋中を歩き回っていた。  戸倉さんが出て行ってから一時間後、竹野さんから固定電話が掛かった。  電話口に出るなり、慌てた声が耳に飛び込んできた。 「山崎さんですか、竹野です」  何かあったのですかと俺も急いで尋ねると、別の若衆が運転する戸倉さんを乗せた車が、横から来た謎の車に追突されたという。相手車は逃走したので、明らかに敵の仕業ですと竹野さんは興奮していたが、俺はそんな背景はどうでも良かった。  戸倉さんは無事なのかと噛み付くと、安否はまだはっきりしないと言われてしまい、目の前が真っ暗になった。  そんな……  受話器を握り締めたまま床に座り込むと、玄関の電子ロックがガチャリと開く、いつもの重い音がした。  かつて家にヤクザ達に乗り込まれたときと同じ、他人に上がりこまれる恐怖に竦むと、戸倉さんが出て行ったときとまったく変わらない姿で立っていた。
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