熾火

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 秋が過ぎて冬に入ると、あの人の車に追突事故を起こした敵組織との抗争はますます激化する一方で、ときどき新聞にも発砲事件が掲載されるほどになっていた。  『柏木組』という名前がマスコミに出て来るたびに心臓が飛び跳ねそうになったが、いずれも軽傷者を出す程度ですんでいた。  そもそも柏木組は関西系列なのに、肝心の柏木組の頭領が関東の分派を鎮圧するためにほぼ地元に不在の状態で、大阪では戸倉さんが指揮を執っていたに等しく、逆を言えば彼は常に狙われやすい立場にいたということだった。  俺に会う時だけは、彼は肩の力が抜けるようだった。 「坊にこうして逢う時間が唯一の楽しみや…まるで孫に会う年寄りみたいやな」  自分で自分の科白に突っ込みを入れて俺を笑わせたりしていたけれど、あの人は本当に疲れていたのだ。  どうしてこんな諍いが起こるのだろう。  俺なんかに裏社会の複雑な世界は判らないけれど、昔からの因縁が続いているだけで、大した原因ではないらしい。ただ柏木組の勢力図が大きくなることで周りに疎まれ、攻撃がよけい酷くなっているのはたしかな話のようだったが、そりゃ仕方ない話だ。有能なボスの指揮下にある組織は大きくなるのは自明の理だ。妬んだってどうしようもない。  戸倉さんは組の頭領をいつも立てて自分は陰に回っていたが、この人こそが実際に大阪を動かしているのは俺にだってよく判った。  抗争が頻繁になって、俺と会う時間が取れなくなるにつれて、会うたびに戸倉さんは大検のことを口にした。 「もう一度やり直してみたらどうや、坊」 「始めから勉強しなきゃならないから、やるとしたら仕事辞めなきゃならないよ、だいぶ知識も抜けてるし…働きながらは無理だ」  その度に繰り返された問答。  そうか、やっぱり駄目かと彼はちいさな溜息を吐いて、俺じゃ保護者にもなれんし、生活が先やもんなと呟いた。  どうしてそんなに大検にこだわるのか、勉強なら学校に行かなくても出来るし、何より彼の側を離れたくなかったから、俺はあえて考えないようにした。  俺にしきりに勧めるのは、俺が大学に戻る足掛かりを掴むところを見届けたいという感じが見えて、不吉な予感すら頭を過ぎった。抗争が収束する様子はないから、自分の身に非常事態が起こると思い、それでこんなに促すのではないかと。  けれどそれは俺の想像のし過ぎだと打ち消し、おいでと呼ばれる腕の中に納まる、今の倖せの中にだけ浸るよう努めた。 ※ ※ ※  終焉は、唐突だった。  敵組織も最近は大人しくなっているから助かると戸倉さんが言っていたので俺も安心していた矢先の真冬、仕事から帰ったばかりの俺の携帯に竹野さんから連絡が入った。  竹野さんの名前を液晶画面で見るなり、以前に『俺が死んだ時以外は綾人に連絡なんぞするな』と戸倉さんが叱っていた言葉がいきなり迫って来た。  いやまさか、そんなことはないだろうと思いつつ、震える手で着信ボタンを押すと、竹野さんの悲痛な声が飛び込んで来た。 『山崎さん…こんなことを俺はお伝えしたくないです、でも…でも…言わなきゃならないんですね…』  電話の向こうで、竹野さんがしゃくりあげている。 『つい先程、戸倉さんが組本部の前で撃たれて、亡くなりはったんです…! 俺の信用置ける弟分そっちに寄越しますから、その車でこちらまで来て下さい…俺、あきまへん、運転はとても出来しません、すんまへん、山崎さん…』 ――戸倉さんが撃たれて、亡くなりはったんです……!  …何で?  何でだ?  最近は抗争も落ち着いているって、あの人は言ってた。  このまま下火になるだろうって。  それが撃たれたって…どういうことなんだろう。  俺は朦朧としたまま、普段着のままふらふらと外に出て、それらしき車が来るのを待った。  ほどなくして黒いベンツが現れてウィンドウの一つが開かれ、短く髪を刈り込んだ人が俺の顔を確かめるかのように身を乗り出し、頷いた。 「山崎さんですね、竹野の下のもんです…乗って下さい、すぐ着きますから」  低い声で言ったが、その人も泣くのを堪えているようだった。
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