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──まさか、こんなところで彼が泣くのか?
戸惑いが生まれる。しかし戸惑っている場合ではない。彼の言葉に頭を働かせなければいけない。
すぐに理解するには、今まで積み重ねてきた自分たちの時間の壁が厚い。それでも、懸命に努力をする。
そうして言葉のひとしずくが、じわりと脳裏に染みてきた。
途端に、枯れ野に雨が降り、一斉に花開くように広がっていく。
それと同時に顔に血が上ってくるのが解った。
熱い。頬が、瞼が、熱くてどうしようもない。
腕を伸ばし、こんなにも近くにあった愛しい人の身体を引き寄せた。
抵抗もなくオリヴィエの腕に収まった細い身体から、二つ名にふさわしい香りが立ち上る。
「……ごめん」
彼の耳に囁いた謝罪に、ラウールは首を振った。
「謝ってくれるな。私が何よりも騙していたのは自分自身だ。君は己を騙す私の意を誰よりも誠実に汲んでいてくれただけだ。謝罪すべきは、そうやって君の優しさに甘え、傲岸にも君の思いを殺し続けてきた私だろう」
今度はオリヴィエが首を振る番だった。
「違うよ、ラル。それは僕が自分で選んだことだ」
オリヴィエの腕の中でラウールが身体を起こす。
目が合うと、謝罪しあう自分たちが可笑しくなって、二人同時に吹き出した。
今この時からは、もう彼を思う気持ちを隠さなくていい。
初めて素直な思いのまま、ラウールを抱き締める。
昔よりもか細い、けれど夢ではない実体の彼。
オリヴィエに抱かれたまま、ラウールはこちらの肩に頭を預け尋ねてきた。
「夜会の件。理由などない。私が君と共に歩きたい」
いまや彼と共に歩くことに否やはない。
けれど。
「ラル、僕も君と一緒に歩きたい。けれど、今日の夜会については礼服の用意がないよ」
それを聞いてラウールはくすりと笑った。
──ああ、そうだな。
少年の頃を彷彿とさせる彼の表情に、オリヴィエも苦笑を洩らす。
オリヴィエを連れて行くつもりだったラウールが、手抜かりをする訳がなかった。オリヴィエもメールソーに出入りをする仕立屋に服を作らせたことがある。ラウールが自分に黙って礼服を仕立てることなど、造作もないことだ。
果たして。次の間のクローゼットの奥に、新調したばかりのオリヴィエの礼服は隠されていた。
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