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【第一話 秋の夜会を君と 番外編】 九月(果実月)の初更
正歴一八一七年の夏は忙しかった。
暑さも少し収まってきた九月も始めのその日。
定時はとっくに過ぎ日もすっかり暮れたというのに、社長補佐室の扉横の表示は在席になっていた。
それを目にして、ドュフィ・オルタンスは溜息をついた。
社長のラウールが不在の今、補佐である彼の業務が増えているのは解っている。だが、メールソー商会秘書室長の彼女には、どうしても言いたいことがあった。
一旦給湯室に入り、茶の用意を調える。そして社長補佐室の前に戻ると、扉をノックした。
「どうぞ」との応えに扉を開ける。
返事はしたものの、オルタンスが部屋に入ってきてもオリヴィエは机上の書類から顔を上げようともしていなかった。
再び溜息をつくと、彼女は机の傍へつかつかと近づいていった。
書類の広がる机上の隙間に茶の盆を置く。
そこでようやくオリヴィエは顔を上げた。オルタンスの姿を認めて相好を崩す。
「ああ。ありがとうございます。一息つきたい気分でした」
「一息ではなく、本日はもう切り上げていたただきとうございますけれどね」
思わず嫌みを口にしてしまう。
だが、オリヴィエは鷹揚に笑ったままだった。
——まったく、このお二方は……
胸中でまた息をつきながら、オルタンスはポットから茶を注ぎ、オリヴィエの前へソーサーに乗せたカップを置いた。
礼を言ってオリヴィエがカップを手に取り、口許に運ぶ。しかしそこで茶の香気を吸った彼は手を止めて、オルタンスを見上げてきた。
「オリー。これはラルの」
「貴方がいただいたからといって、ラウール様のご不興を買う訳がございませんでしょう。おとなしく召し上がればよいのです」
ぴしゃりと言い切ると、オリヴィエははいと頷き、おとなしくオルタンスの淹れた茶を飲んだ。
彼が察したとおり、今淹れてきたのは社長のラウール用に用意されているサン・ヴィクトル・ド・セルノン産の高級茶葉だ。
しかしオリヴィエにはそれを口にする資格がある。それがオルタンスとメールソー商会副社長のジェラン・ロドリグの共通の認識だった。
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