第二話 正暦一七九六年四月(芽月) 春の日に君と秘密を(改稿版)

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 蠱惑の時間への期待と、学院の他の生徒への警戒心と。  そんな背反する思いを抱え、地に足がつかない心地のままラウールと共に下校した。  学院から屋敷最寄りの駅までの地下鉄の中でも、どんな会話をしたのか、はっきりとはしない。  屋敷に着き、客人がいるから自室まで茶を運ぶように依頼をする。 「僕が呼ぶまで、誰も来ないように伝えておいてくれ」  部屋に茶を運んできた使用人にそう言って出て行かせ、部屋の鍵を閉めたところで、一息をつくことができた。  これでやっとラウールと二人きりだ。  使用人が下がるまでの間、窓から屋敷の庭園を見下ろしていたラウールが、ティーセットの用意されたテーブルに歩いてきながら笑った。 「さすが、こういう時の使用人のあしらいにも慣れている」 「まさか」  テーブルの席に着きながら、憮然と答えてしまう。 「部屋に人を招き入れるなんて初めてだよ」 「それは意外だ。僕はてっきり……」 「どうでもいい相手を自分の領域に入れたりしない」  言葉を遮ったオリヴィエをラウールが無言で見つめてくる。そのまま彼は、開いた口を閉じて視線を落とし、テーブルの上のティーカップに指をかけた。  その様子に自分の態度を反省する。  つい口調がきつくなってしまった。  ──……余裕がないの、気取られたかな?  ラウールに言った通り、今まで他人を部屋に招待したことなどはない。  家の使用人を相手にする時は、屋敷の適当な空き部屋を使っていたし、学院内でも似たようなものだ。  自分の性欲を発散するだけの相手にベッドを、ましてや自分のベッドなど使おうとも思わなかった。  ──さて、どうしよう……  相手を自分の部屋に入れる。そのことからして初めての状況だ。  更に、昨日までの相手は遊び慣れている者たちばかりだったが、ラウールは違う。経験のない人間を相手にすることも、オリヴィエにとって初めてのことだった。  これは思案のしどころだ。  黙って考え込んだまま、オリヴィエもラウールに倣ってカップを口に運んだ。 「で、僕はこれから何をしたらいい?」  それを見計らっていたかのように、ラウールから質問が発せられた。  目を上げると、カップを下ろし面白そうに微笑むラウールの顔があった。  ──気まぐれな猫に翻弄されているのかもしれない。  そんなことを思う。
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