第一話 正歴一八一七年九月(果実月) 秋の夜会を君と(改稿版)

7/10

121人が本棚に入れています
本棚に追加
/463ページ
 あの夏の夜の夢は、彼の欠片(かけら)。  ──けど、それだけでもう十分なんだ。  それ以上を求める心など、とっくの昔に殺してしまった。自分のこんな心の内を、ラウールは知らない。  細心の注意を払い、ずっと知られないようにしてきた。  それが今、彼は一体何を望んでいるというのだろう。  これは一人で考えても埒が明かない問題だ。彼の機嫌を損ねている今、無駄に時間を費やしたくはない。  両頬をぱちんと叩いて気を取り直すと、オリヴィエは小走りで次の間の扉に向かった。  ノックをせずに扉を開く。  ラウールは洗面台で顔を洗っていた。  扉口からその横顔に訊く。 「ラル。僕にはやはり解らない。君にとって大切なものはメールソーだろう? だからこそ君は結婚を選び、クロエとの間に子供を作った。そのことは僕も重々理解しているし、貴族の当主として正しいあり方だと考えている。だけど、リオンヌの名前抜きで僕が君と一緒にいて何になる? メールソーの家の益にならないだけでなく、何にもならないよ」  オリヴィエの言葉を聞きながら、ラウールは蛇口を閉め、水が滴る顔をタオルで拭った。口許をタオルで押さえながら横目でオリヴィエを見やる。しかしすぐに視線を逸らして洗面台の鏡に向いた。  鏡を見ながら大きく息をつく。 「……弟たちに言われた」  オリヴィエは扉を閉めてラウールの傍へ近づいた。 「弟たち? ……ギュスとアル?」 「ああ」  メールソーは五人兄弟だ。ラウールから順にギュスターヴ、アルベール、ニコラ、そして自分たちが出会った頃にはまだ生まれていなかった、今年王立学院高等部二年生のテレーズ。  現在ニコラ以外の四人が王都にいる。  あの日、オリヴィエの元にラウールを連れてきたのはアルベールだった。  年嵩の二人は、長兄に一体何を言ったのだろう。  促したオリヴィエに、ラウールは再度息をついた。 「メールソーの当主ではなく、『私』の道を示すと」 「君の道?」 「……ああ。そう言って連れて行かれたのがおまえの部屋だ。そして私もそれを拒まなかった。──……拒めなかった」  鏡から視線を離さないラウールの最後の一言は殆ど囁き声だった。  彼の微かな告白にオリヴィエは手で顔を押さえながら天を仰いだ。
/463ページ

最初のコメントを投稿しよう!

121人が本棚に入れています
本棚に追加