クジラの記憶

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 空を見つめていると太陽が点になった。山の空は海より少し狭い。  足許に視線を落とし、石を拾う。ゴツゴツとした手触りのそれを麓の家に持ち帰ると小さく割ってひたすら磨き、白黒に着色して囲碁を打った。相手はクジラ。 その昔彼らは地上に住んでいた。その最後のひとりと、穏やかな老後をひっそりと過ごしているのだ。  彼は常日頃、自分が死んだら海に移り住んだ仲間に贈られた珊瑚と一緒に、山奥に埋葬して欲しいと言っていた。仲間が次々と海に移り住むなか、あくまでも地上の生物として生を全うしようという彼の、矜持と不安が垣間見える言葉に私は嬉しくも寂しくもなるのだった。  その彼が突然、野球を観に行きたいと言い出した。 「それは無理だよ」  観戦は歓迎なんだけれど、足を運ぶとなればまた話は別だ。しゃくり上げて泣く彼をなだめるように肩を抱く。老いさらばえたとはいえ、彼の体の大きさに比べたら私の車などミニカーみたいなものだ。 「せめてサバくらいの大きさだったら良かったのにね」  私は彼の絶望を和らげようと冗談めかして言うと、テレビをつけた。日本の城が映っている。どこかで見たような気もするが、どこだっけ。記憶をたぐり寄せて出てきたのは、ふたりでのんびりつかった風呂の温かさだった。お互いに首筋や頬っぺたの染みを指差し、「歳とったねえ」と笑いあった夜だ。昔の話だけどと彼が湯気のなかで話した不思議な話のひとつに、城郭に無数のサバが降り注いだ事件があった。話を聞きながら目を閉じるとその光景が広がった。あれは私の見た夢だったのか、あるいは彼の記憶だったのだろうか。  ところがだ。次の日目覚めると彼の体は縮んでいた。これなら私のミニカーにだって余裕で乗れるだろう。目を煌めかせる彼の姿は私を一層戸惑わせた。 「あのね、ホエールズね」できるだけ穏やかに伝えようとトーンを落とすと声が震えた。「もうなくなったんだよ」  彼は自分のチームが消滅したと聞いて目を見開いた。そこから水滴が溢れたのを合図に、止めどもなく泣く。体のすべての水分を差し出せば何かが変わると信じているかのように。  そんな彼を眺めていると私の視界も滲んだ。目を伏せて、頸から下げた御守りを開き古い五円硬貨を取り出した。それはふたりが出会った頃、刻印された二つの双葉に自らをなぞらえて喜びあった、間に穴が穿たれようともそれを越える橋を渡そうと誓いあった硬貨だ。でも今やかけ橋は脆く、欄干を頼りにしなければ辿り着くことはできない。あの一休禅師でさえ真ん中を渡り切ることはできないだろう。もうじきナイフが入り、私たちは離ればなれになる。だけど彼はそれを知らない。私の目が潤んでいる意味も。それはもうどうしようもないこと、元に戻るだけのことなのだ。 ―ロックな生き方。  昔そんな表現が流行った時、彼はいたく気に入った。海に向かう仲間の誘いを断り、山の桜や草を友にして、己の信念をよすがに私と出会うまでの時をひとり生きてきたのだ。最後に別れた仲間がしゃちほこのモデルになったんだと自慢気に語っていたっけ。そうか。昨日のテレビの映像はたしか名古屋城だ。けど魚が降ったなんて話は聞いたことがない。彼は何を記憶していたのだろうか。  翌朝私たちは山奥の庵へ向かうべく、掘っ立て小屋のような自宅をあとにした。長年過ごした庭ももう見納めかも知れない。彼は自虐も込めてこのあばら屋を宮内と呼んでいたが、その呼び名もあながちはずれではないと思う。ただし宮は宮でも子宮だ。絶対的に外から遮断された安全な空間。そのなかではふたつだったものも融合してひとつになってしまう。  ふたりであったひとりが生まれた暁には、獅子が舞い孫悟空が踊り祝いの文が読み上げられる盛大な祭りが催される。しかしその罠にはまってはならない。喧騒は瞬く間にくずおれて、すべては灰と化し無数の虫となって飛び去ってしまう。あとにはオムツを履いた幼子ひとりが取り残されるのだ。  私たちはふたつの双葉となって、くたびれた浪人のごとく山に籠もる。親となることもなく一代限りで終える生を、ただ穏やかに見つめている。たとえ呼吸が止まろうとも、救急車を呼ぶこともなく穏やかにその時を迎えるだろう。  いつもと同じハムエッグを食べたあと、双葉の片割れは去った。すり下ろした山葵のような刺激が眉間を突き、一滴の液体が零れ落ちた。それをシャツの袖で拭う。私たちはかつて双子だったのだ。物差しではかったようにぴたりと同じだったふたりは、どちらからともなく互いを取り込んでその記憶を封印した。私のなかの彼の存在に、彼より先に気付いてしまった私は、イナゴの大群に襲われた人間のように立ち尽くすほかなかった。そして今、オムツを奪われた赤子のように、全身で泣くしかできないのだった。
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