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「それから?」
描かれていた文字を、疑問符とともに口に出した。
美術室の黒板の端ら端まで、一面を埋め尽くすようにでかでかと描かれた「ソレカラ」。この春、学校を巣立った元部長からの「メッセージ」だろう。「メッセージ」の脇に、律義に元部長の署名が書かれていた。
数週間しか経っていないのに、その名前と元部長の作品を前に自然と笑みがこぼれる。元部長がいなくなり、美術室から自然と離れ、創作意欲も欠かれて、陰鬱なつい先ほどまでとは違う。嬉しくなったからこそ、今までは言い表せなかった、さみしさがわかる。
こうして「作品」を見るだけでも明るくなるのだ。元部長が在学、卒業を問わず、気恥ずかしくて出来ていなかった連絡が、さみしさ最大の原因だろう。
明日は始業式。春休みが終わる前に、美術室の掃除をする、美術部恒例行事だ。新たな部員を迎えるため、美術部卒業生の作品を処分するだけの行事。
ただ、それは大義名分で、引きこもりがちな美術部が「登校へのリハビリをするため」というのが、この行事の始まりだったらしい。昨年、元部長と二人で実施した時に聞いた話だ。
逆に、明日からの新学期に備えるため、他の部活は休みが多く、校内にほとんど人がいない。遠くの車のエンジン音や廊下を歩く誰かの足音もよく聞こえる。
この春、美術部から卒業したのは元部長一人だけ。しかし、処分するものが多い。絵画だけでも12枚、月ごとの美術部の「思い出」の作品があるし、丸太から削り出したフクロウの彫刻をはじめとした立体作品、卒業制作では、ありあわせの材料による音のひどい「ラッパ」を作り上げた。
余談で「ラッパ」だけは、なぜか焦って作っていて、全体的に歪み、端々の研磨もおろそかとなり、雑な仕上がりとなった。部屋の後ろのロッカーの上、他の作品と並んでいる姿を見ると、クォリティの差が際立っている。
そんな調子で、月に一度は作品を作り上げ、絵画・彫刻と節操なく、作りたいものを作りたいように作っていた自由人、それが元部長だ。それでも表現力や技術力は高く、作品は賞をもらうこともあった。とある作品は大賞に輝いたこともある。
それは「連絡を待つ」と題した、自画像である。自画像といっても元部長の左手と通信端末に写されたメッセージのやり取りが描かれているだけの絵画である。
大賞の寸評では「メッセージが返ってこないことにやきもきする気持ちが良く表されている」とされていた。元部長曰く「画面に反射する自分の顔まで描こうと思ったが、さすがに恥ずかしくてできなかった」とのこと。
本人は、自画像であることやそういった恥ずかしさもあることから、賞に出す気がまったく無かったらしい。返品されてすぐにこの作品だけは元部長が持ち帰った。美術室に飾っていたがために顧問の目に留まり、勝手に送られてしまったのだが、うちの部ではよくあること。最初から飾っておかなければよいのに、とは口が裂けても言えなかった。
他の作品も大なり小なり賞をもらっていた元部長は、校内、特に先生方からは評判が良く「我が校の誇りだ」と校長が褒めていた。本人は「貴様らに表現できても意味が無い」と、悪態ともとれるコメントをしていたのも懐かしい。
ただ、それら評判の品の全ての処分を「あとは任せた」の一言で一任してきた元部長には、言いたいことが、残された作品と同じ数程ある。
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