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「あんた、俺の事知ってるの?」
特に驚いたような様子もなく古城がこちらを見つめて言う。
「……まあ、いいか」
言い終わると同時にその姿が真っすぐこちらに向かってきたかと思うと、腹部にとてつもない衝撃を受ける。
ボクシングのトレーニング中に、先輩からの半ばいじめのようなものだったと思うが腹にダンベルを落とされた時を思い出した。
もう、30年以上も前の事なのにやけに鮮明だった。
「グヴォオオ!」
たまらず胃液を吐き出す。
「あ、あんただけでも逃げるんだ……!」
少し離れたところで額から血を流したSinnerが香澄に向かって叫んだ。だが香澄は恐怖に震えている様子でその場に立ち尽くしていた。
「いたぁああああああ!!」
突然、野太い声が響いた。建物内に反響したその声を出したのは、オーバーサイズのTシャツを着た長身の男だった。
後藤はその顔を覚えていた。開始前の待機室で見た顔だ。イライラしているように落ち着きがなかったり、苦しそうに椅子から降りてフラフラ歩いたり、血が出そうなくらいに爪を噛んでいた男だった。
自分なのか、古城なのか、他の人間なのか、誰を見ているか分からなかった。
ただ、マリオネットのようにその首は右前に垂れており、とても正気には思えなかった。
「幻覚……LSDあたりか」
古城が男を見つめて呟く。
「お前を倒せば……もらえるんだってなあ!」
その言葉は古城に投げかけられたようだった。
「……?」
「どうすればいい、お前がどこまでやられたらもらえるんだろうか!?とにかく、とにかく!」
男はそう言うと、身体ごと古城に突っ込んでいった。
「ぐっ」
男は古城の背中を両手で殴り始める。
「クレクレクレクレー!」
だが、元格闘家の後藤でなくても分かるだろう。格闘に慣れていない男の動きだ。ほとんど古城の身体の芯には入っていないだろう。
「クレクレー、あ、えっ」
次の瞬間、古城がガードの体制を解いて男の胸を両手で突いた。多分ここから決着まで数十秒の世界だろう。
「ダンナ、逃げよう」
香澄がSinnerに肩を貸した状態で視界に現れた。
「何が起きているか分からないけどラッキーだよ、今しかない」
「え、ああ……」
古城に襲われたタイミングなのか、もうひとりいたはずの仲間は気付けば消えていた。ジンジン響く腹を押さえながら後藤はゆっくり立ち上がる。
「あがががががががが」
古城が馬乗りになっていた。男は、ガッチリと身体をホールドされて身動きが取れないようだ。
助けに行くには、自分達は非力すぎる。
大の大人が4人でも倒せない気がしてきた。そもそもの格闘センス、それと全てを捨てる覚悟がそもそも違うようだ。とても勝てない。
男の苦しむ声から逃げるように後藤はヨロヨロと歩き出した。
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