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「たりぃな。もう頭潰せよ!」
突然、2人の少女の数メートル後ろに座っていたネルシャツを着た度の強いメガネの男が、量子力学の参考書を片手に叫んだ。
「そうだそうだ!片目を抉り取っちまえ!」
その近くに座っていた人の良さそうな中年の痩せたサラリーマンが、その身体のどこから出たんだと思えるような野太い声で同調する。
「行きましょ」
近くの砂場で子供を遊ばせていた母親が子供の目を塞いで公園から出ていく。だが出ていくまでのその間、その母親は名残惜しそうに最後までその暴行現場をチラチラと見ていた。
そんな狂騒を、老人は丘の上から見つめていた。
「……ひどいものだ」
風にかき消されそうな声で呟いた。
「会長、今日は風が強いのでお車に」
横にいた屈強な身体の男が声をかける。顔に刻まれた皺は、彼が既に半世紀近くは生きているであろう事を示していたがしかし、紺色のスーツがきつそうに見えるくらい年齢に見合わぬ筋肉を隠しきれていなかった。
「社会が腐ったと言いながら、人間そのものが腐ってしまった」
パトカーのサイレン音を聞き取ると、老人は杖をつきながらゆっくりと黒塗りの車に歩き始めた。
「篠田」
「はい」
屈強な男は低い声で返事をする。
「人の暴力性を試す番組……そんなものを先週提案していた奴がいたな」
「ええ」
「そのくだらんビジネスプランに乗ってみたくなった」
「いくらなんでも」
「あんな蛮行が日常で行われているんだ。それが更に大勢の群衆の目にとまる。しかも、周りの目がない場所で。遠慮する必要もなく、逆に同町圧力もない。それだけだ。そこで愚かな連中は盲目的な愉悦から目覚めるのか、それとも……」
後半は独り言のように老人はブツブツと呟きながら、車に乗るとゆっくりと目を閉じた。
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