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エスタはぼんやりと呟いた。手についた血。服についた返り血。濃厚な、鉄の臭い。
「……下手くそな殺し方だった、な……」
やがて彼はぽつりとそう呟き、それきり昏き闇に沈んだ。
*
服を着替え、エスタはようやくあの倉庫のような場所から出してもらえた。
今は深夜。聞けば兄弟たちはエスタのための『誕生日らしきものパーティ』の最中にエスタの姿がないことに気づき、必死で探し回ってくれたらしい。
そして師匠が「私に心当たりがあるから、お前たちは先に寝ていろ」と言った鶴の一声で、少しは安心したのか、今は疲労に包まれてひとり残らず眠り込んでいるという。
「師匠は、どうして分かったの」
師匠ロザリアの部屋に呼ばれたエスタは、まずそれを切り出した。
ロザリアは貰い物の書斎机の端に腰を乗せ、一本ワインの口を開けてラッパ飲みし始めた。
「お前があの家に行く可能性を知ってる人間なんざ、限られているだろうが」
飲む合間にそんなことを言う。エスタは顔をしかめた。エドワード・マックスのことを知っているのは、ラデュラン子爵と……
「またリリンか」
「そんな言い方はよせ。今回てめえは、そのおかげで助かったようなもんだ。魔術具の火はとっくに消えて家人が怪しみ始めていたから、あのままじゃあの屋敷から逃げるなんて不可能だったろうよ」
「……」
「捕まっても良かった、ってな顔だな」
「……デイヴィル人研究の権威なら、俺の出自のヒントも持ってるかもしれないと思ったから」
正直に話す。これはリリンにも言わなかったことだ。
それを聞いた師匠は、苦い顔をした。ワインをもうひと飲みすると、
「母親探しはやめろ。見つかったところでろくなことは起きん」
エスタは師匠を見つめた。
「うん、やめる」
「……妙に素直だな」
「だってさ」
もう見つかったから――。
「……っ」
時間が止まったかのように、師匠が硬直した。
目を見開いて“息子”を凝視する。その唇は、何かを言おうと何度も開きかける。
やがて――ようやく彼女に掘り起こされた言葉は、
「あほらしい。証拠なんかないだろうが」
エスタは淡く微笑んだ。
「証拠は顔だよ。あの人は、俺と同じ顔の誰か他の男を、ひどく憎んでいたし――」
憎む対象としては、エドワード・マックスである可能性もあるかと思って、師匠が気絶させたマックスの顔を見てみたりした。
だがマックスとエスタはどこも似ていない。マックスの“笑い顔”とやらを見たらまた違うのかもしれないが、そうではないとエスタはすでに確信してしまっている。
だから、ロザリアに言った。自分でも不思議なほど、穏やかな気持ちで。
「ねえ師匠」
「……」
「血の繋がった親子ってすごいかも。あの人は俺のことを分かっていたし、俺も分かったよ」
「エスタ」
「……本当に、分かったんだ」
ぽつりと零れる声はあまりにも空虚で。
念願を果たした先にあったものは、霞のようにはかなくて、エスタに新しい世界を何ももたらしてくれない。
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