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魔術師殺し
はあ、と師匠が大きなため息をついた。
いつだって鋭いその目が、いつも以上の猛禽のような鋭さをもって、エスタを見つめている。
「……お前は、私のようになるなと言った」
やがてロザリア師匠はそんなことを言った。
エスタは微笑んだ。嬉しかったのか、悲しかったのか、自分でもよく分からないままに。
「でもさあ、師匠。俺」
「エスタ」
「――何も感じなかったんだ」
両手を持ち上げる。掌を上に向けて、視線にさらす。先刻は血まみれだった手も、今はいつも通り。器用だと自負する当たり前の彼の手があるばかり。
そこには、何も残っていない。何も。
「感じなかった。あの女を殺しても、何も湧いてこなかった。心に――」
少年はゆっくりと語る。
否、それは独白でもあった。
仮に師匠がそこにいなくても、彼は呟かずにいられなかっただろう。彼が抱えた空洞を。
やがてエスタは自分の両手から、師匠へと視線を移した。
「これってさ、師匠の仕事の後継ぎにぴったりだと思わない?」
へらっと笑うと、ロザリアは嫌悪の表情になった。彼は例え息子が相手であろうと、そういう視線を隠さない。
「何度言わせる気だ。私に、後継者なぞいらん」
「何度でも言うよ。師匠は引退したほうがいい。仕事は俺がやるよ」
「このクソガキが――」
ワインボトルをわし掴む手に力がこもっていくのがわかる。放っておくと、ボトルをそのまま握力で割りそうだ。
「たかが今日偶然初めて人を殺した人間に、この仕事が務まるか! 引退したほうがいいだと? どこまでクソ生意気なことを」
「だって師匠にはこの仕事は合わないよ。師匠は、人を殺すたびに悲しむじゃない」
「な――」
「俺知ってるよ。師匠、自分が殺した人間のために弔いをしてるよね」
ロザリアの口が閉ざされた。憎々しげにエスタを睨み、呪い殺しそうな目をする。
だがそれらのどれも、エスタには効かなかった。
彼はもう、疑いを持っていなかったのだ。
「引退しろはたしかに言い過ぎたかも。でも俺に手伝わせて、くらいは言ってもいいじゃない。俺、あの女の人を一刺しで殺したし、素質あるでしょう?」
倉庫の中であの時間を繰り返しなぞっているうちに、彼は思い出していたのだ。自分はあの女をたしかにナイフの一刺しのみで絶命させている。余計なかすり傷さえ、あの女の体には残っていなかったはずだ。
師匠は遺体を検めた。当然それを知っていて――。
だから今、言葉に窮している。エスタの言い分を否定する力を、だんだん無くしている。
かなりの間があった。
風もないのに、冷え冷えと肌を刺す空気が二人を取り囲んでいた。
エスタはそれをものともしなかった。ロザリアは――果たしてどうだったのか。
「俺さ」
先に口を開いたのは少年。まるで師匠とも母とも思う人の逃げ道をふさぐように。
「……師匠に、あんな仕事させたくないってずっと思ってた。だって師匠は、あんなに人の好いみんなの母親なんだから」
「………」
「初めて師匠の仕事を見たのは三年くらい前だっけ。……偶然だったけど、俺だけが知ることになったのは、俺にとっては運命だと思う」
「エスタ」
ロザリアは片手を頭に当ててうつむき、ゆっくり首を横に振った。
「よせ、エスタ……お前は、お前だって、私の“息子”なんだ」
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