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少年エスタ
厄介なもん拾ったな。
――彼と出会ったときに師匠が思ったことは、その一言に尽きるという。
雨のそぼ降る路地裏に置き去りにされていた、生まれて間もないと分かる赤ん坊。
まだ個性さえろくにない日齢であったのに、唯一はっきりとしている特徴があった。
「黄色い目、か……」
その日のことを語るとき、師匠は酒を煽りながらいつも、苦笑していた。
「放っておけやしねえよ。仮に生き延びられてもこの国じゃあ地獄を見ること確実のガキなんてな」
俺は地獄なんて見てないよ。彼はそんな師匠の姿を思い出すたびそう思う。
ただ、長じるにつれて心に空白が生まれた。それはきっと、師匠の危惧した通りだったのだろう。
かつてこの国の片隅に小さな一族がいた。
一般に『滅びた』とされるその一族がもつ明確な特徴。赤みがかった黄色い目……
*
「こんにちはー。酒屋でーす」
酒樽を抱えたまま、少年エスタは裏口に声をかける。
食堂『エスタ』の裏口が開く。出てきたのは女将のアミリーではなく、その夫のラザだった。
出っ張ったおなかを揺らしながら、「ああ、ご苦労さん」と手を伸ばす。貧相な食材から信じられないほど美味しい料理を生み出すその手が、少年の淡い金髪をくしゃくしゃと撫でた。
「お前さん、いつ見ても貧相なくせに力持ちだなあ、エスタ」
「俺を舐めちゃダメだよラザ。服の下はバッキバキだから」
「そうか? 兄弟で決めた運動の時間になるとお前だけいつも姿を消すと、この間カシスが怒っていたぞ」
「やだなあ。たまたま腹が痛かっただけなのに」
「毎日腹が痛くなるのか? バッキバキの割には虚弱だな」
かはは、とラザは豪快に笑う。それから穏やかな茶色の瞳でエスタを見て、「やりたくない理由があるなら、兄弟と相談するんだぞ」と微笑んだ。
酒樽を抱いたまま、エスタは少し目を逸らす。我ながらよく分からないこの感覚を、きっとこの食堂の主人は理解してくれている。だからこその罪悪感。
「――さて。その樽をこっちへ持ってきてくれるか」
「ういっす」
促され、裏口から食堂『エスタ』の廊下へ足を踏み入れる。
しばらく歩き、ラザが開けた戸口をくぐると、そこは肉の匂いが濃厚に漂う厨房だ。その片隅を指さし「置いてくれ」とラザが言う。エスタは言われた通り、他の酒樽の並ぶ横に運んできた樽を置いた。もう何年も同じことをやっているから慣れたものである。
「ありがとうエスタ」
ラザはその場で賃金をくれる。最初の約束より少し多めだ。
「それでみんなに『運動サボってごめん』のお菓子でも差し入れてやれ」
「うん」
素直にうなずくと、ラザはかははとまた笑い、エスタの癖毛を嬉しそうにわしゃわしゃ乱した。
「お前さんは働き者だな。手先も器用で仕事もできるんだから、もっといい仕事に就ければ稼げるだろうに」
食堂の主人は厨房の包丁磨きにかかりながら、心底残念そうにため息をつく。
エスタはへらっと笑って、
「心配しないで。俺、今でもけっこう稼いでるから」
「……そうらしいな。ロザリアが、『エスタがどこからか大金を持ってくるから心底気味が悪い』とつぶやいていた」
「うわあ人聞き悪い。ちゃんとまっとうに働いて稼いだ分なのにー」
「そうか」
ラザは包丁から少年へと視線を一瞬移し、複雑な表情をした。
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