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天井を仰いだまま目をつぶり、小さく吐息。
――仕方ない。今まで普通に仕事を得られていたほうが奇跡だったんだ。
ロザリア・ハーヴェントの五番街での信頼は篤い。困ったときはロザリアに頼ればいい、と誰もが言う。
彼女がたったひとりで孤児を何人も育てて来られたのは、彼女を信頼する五番街の人間の親切さのおかげでもある。言ってみればハーヴェント家の子どもたちは、五番街全体の子どもなのだ。
(でも、他人の親切には限界がある。俺たちは俺たち自身の力で生きていかなきゃならない――)
カラン、と店の呼び鈴が鳴った。
エスタは緩慢にそちらへ顔を向けた。
そして即座に顔を背け、舌打ちした。しまった、食堂じゃなく厨房で食事をとらせてもらうべきだった――。
「おや。あそこに“フラウム”がいるじゃないか」
入ってきたのは五人の男たちだ。その中心にいるひときわ小柄な壮年の男が、長く伸びた口ひげをねじりながらにやにやとエスタを見る。
「やれやれ、こんな昼間からあんな汚らわしいものを見るとは。この食堂は外れだ、なあ諸君」
はい若様、と、連れの四人が声を揃える。中央の男とは比べものにならないほど体格のよい四人は、一様に表情に乏しい。まるで顔の筋肉を動かすなと命じられているかのようだ。
「しかーし!」口ひげ男は無駄に通りのよい声を張り上げ、それからこほんと咳払いをした。
「私ほどの男ともなればそんなことでこの食堂を潰したりはしないのだよ。寛大な処置に感謝したまえ“フラウム”。まあ、一食くらいはここで食べてやってもよい」
カツンカツンと高らかに高価な靴を鳴らしながら、食堂中央のテーブルの横に立つ。すかさず連れのひとりが椅子を引き、若様と呼ばれる男を座らせる。
貧弱な椅子の背もたれがお気に召さなかったらしい。男はぴんと背筋を張り、ぐるりと食堂を見渡した。
「客が来たというのに誰もいないのかねこの食堂は? まったく、なってない」
「あらあら」
厨房から直接繋がる戸から、女将のアミリーがひょこっと出てきた。
急ぐでもなくゆったりとした歩みで男のテーブルへとやってくると、にっこり微笑みを向ける。
「いらっしゃいまし、レスペートの坊ちゃま。まさか御自ら五番街にいらっしゃるとは思いませんでしたわ」
男――レスペート男爵子息、オルグリオ・レスペートは、口ひげの先端をねじりながら「ふん!」と大きく鼻息を鳴らした。
「私が来るのは当然であろう。今回の五番街再開発計画は我が父グランデ・レスペートが指揮を執っておる。私はその第一補佐だ」
「そうでしたわね。お忙しい中ご足労いただいて、本当に痛み入りますわ。お食事は何になさいますか? お口に合うものがあればよいのですけれど」
「この店で高いものを八品出したまえ。“新たなる王都五番街”に見合うものでなければ、この店も再開発計画の一部に組み込むことになろう。それから」
オルグリオはあごをしゃくった。――今まさに店を出て行こうとしていたエスタのほうへ。
道ばたに落ちる汚物を見た人間の顔をしながら、オルグリオは苦々しい声で続ける。
「あのような汚らわしい者を、我々は五番街から徹底的に追い出す計画を進めている。この店にも協力願いたい。五番街が、いやこの王都グランヴェルが、健康で! 清潔で! 誇らしい土地であるために! あのような者を今後一切寄せ付けぬように。よろしいですかな!」
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