第四章

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第四章

「救急搬送されたあの朝、朝食を食べていたら急に意識が遠のいて、気がついたら暗闇の中に自分が横たわっていた。驚いて手をのばすと天井が持ち上がり、自分が棺桶らしきものに入っていたんだ。 外には一人の男性がいて僕に気付き、作業していた手を止めた。その男性は暫く考えた後、携帯電話を取り出して誰かに電話をすると 間もなく40代くらいの男性2人が現れ、僕を担架に移し部屋から運び出した。車に乗せられ気がついたら僕は病室に居たんだ。 その時、僕から過去の記憶は全く消えていた。 自分の名前すらも。 いろいろな検査をされた後、白衣を着た男性が部屋に入ってきて、彼は僕の父親の一ノ瀬和博で医師だと名乗ったんだ。 一ノ瀬医師は、僕の名前が一ノ瀬亘で、ある日心臓発作を起こし、亡くなったと思われたが火葬直前で息を吹き返し、急遽ここの研究所内にある病院に搬送され今後の経過を見ることとなったと言った。 以前、君に僕が今定期的に受けている検査や治療は、記憶喪失の患者に対するものとは少し違ったものである気がすると話したと思うのだけれど 通常人間の心臓は停止すると約15秒で意識がなくなり、時間が経過するごとに脳の機能が回復困難となる。しかし僕は心肺が停止されたと診断されてから丸2日たった状態で意識が戻り、記憶は失っているものの脳も臓器も一応正常に機能している。それは今までの症例ではありえないことなんだ。 父である一ノ瀬医師はあまり僕の過去に触れないどころか、僕に対して父親とは思えない、どこか他人行儀なものを以前から感じてはいたんだ。 もしかしたら一ノ瀬医師は、僕の記憶を取り戻す治療をしているのではなく、僕が何故2日も仮死状態でありながらまた普通に生活できているのか、その理由を知りたいがために父親だと嘘を付き、僕を研究材料にしているのかもしれない。 バイオリンの件も含め、色々と腑に落ちないことが多かった。かと言って、自分が実際はどこで生まれ、どう育ってきたのか今まで知る術はなかったんだ。」  そう言うと、亘は理香子を見つめた。 「でも、そんな時に君が僕の目の前に現れてくれた。 僕にとって一番記憶に新しかったパッフェルベルのカノンが課題曲であるコンクールを控えて、僕にそっくりな男が心臓発作で急死したというじゃないか。 さっき、君と歩いている時に聞いた救急車の音で僕は記憶を取り戻した。今まで謎だったことが全てわかったんだ。」 そして一呼吸置くと亘は言った。 「僕は心臓発作を起こし、救急搬送されて死亡したとされた藤堂恭介本人だ……!」  理香子は両手で顔を覆った。  亘は更に続けた。 「恐らく医師である一ノ瀬和博は、僕を研究材料にしたいがために僕が蘇生したことを本当の親族には告げずそのまま死んだことにしたんだ。きっと、棺桶を開けた時にいた男性と一ノ瀬医師は知り合いで、焼却場から僕を軽井沢のあの自分の研究所に研究材料として連れて帰り、話の辻褄を合わせるために僕の父親だということにしたんだと思う」  理香子は愕然とした。 「そんなことをしたら、あなたの存在自体がこの世から消えたことになってしまうじゃない!そんなこと許されることじゃないわ。明日、藤堂家に行ってあなたのご両親にすべてを話しましょう」  すると急に亘は、黙った。  そして声のトーンをおとすと、 「それは止めたほうが良いかもしれない」  と答えた。 「何故?あなたが藤堂恭介で本当は生きていたと知ったら、あなたのご両親はどれだけ喜ぶことか!」 「そうしない方が良いこともあるんだよ」  亘は静かに顔を上げると、理香子を見て力なく微笑んで言った。 「君にはまだ言っていなかったけれど、僕は、そう長く生きないと思う。」  理香子はハッとした。 「心臓がね、悪いんだよ。」  亘は続けた。 「一ノ瀬医師も検査をしながらしきりと心臓を気にしていたんだ。2日以上心臓が停止していても通常の人間と変わりなく生活できる僕の肉体のデータは彼にとってとても有意義なものだったけれど、心臓がもうもたないと思う。自分でもわかるんだ。 一ノ瀬医師は、僕の身体はどうせ長くもたないと思ったから、僕をあの火葬場で死んだものとしても、後々支障はでないと考えたんだと思う。 元々心臓発作で倒れたわけだしね。 もうあと1週間もつかわからない状態の身体で両親に再開したとしても、2度息子を失う悲しみを両親に味合わせるのは気の毒だと思うんだ」 「違う!」  理香子は言った。 「たとえ数時間だろうが1週間だろうが、生きている息子に再会できて悲しいと思う親は居ないと思う。 この今、生きている自分の息子に会える喜びに勝るものはないと思うわ。 だから、お願い。そんな事言わないで、明日はご両親に会いに行きましょう」 理香子は必死だった。  亘は、いや藤堂恭介は黙って理香子の話を聞いた後、やがてくすっと笑った。 「何よ!こんなに人が真剣に話しているのになんで笑うの?」  理香子はムキになった。 「君は、いつでも一生懸命だな、と思って。 笑ったり、悲しんだり、喜んだりが凄くわかりやすくてさ。 バイオリンの練習も毎日のように残って練習してたでしょう?」  理香子は驚いた。 「私のことも思い出してくれたの?」  恭介は続けた。 「あの君がうまく弾けなかった合奏の後、部室に絶対戻るだろうと思ってた。あんまり悲しそうに泣いているからどうしたら君が笑ってくれるのか考えていたんだよ。 そして、やっぱり人間お腹が空いていちゃいけないな。と言う結論に達して、部室の扉をノックしたんだ」  理香子は、涙で視界がぼやけるのを感じた。 「君は飯も一生懸命食べるんだな。スペシャルチョコレートパフェを食べているときの君はとても可愛かった。 最後にもう一度だけチョコレートパフェ、一緒に食べられて嬉しかったよ。 もう少し一緒に過ごしたかったけれど……でも、君に出会えて本当に良かった」 「そんな言い方しないで!」    理香子は、ただ悲しかった。  今、折角こうして失ったはずの彼に再び触れることが出来るというのに、ただ彼の話を聞く以外に為す術もない自分の無力さが虚しかった。 「これからも一緒に色々なものを食べに行こう。そして、ずーっと一緒に過ごすの。明日はご実家に行ってご両親にあなたの元気な姿を見せて、夏休みが終わったらあなたは部活に復帰するのよ。 私は、あなたに演奏を褒めてもらえることを夢見て練習頑張るんだから!」  理香子が言うと、  恭介は笑った。 「わかったよ。君の言うとおりにするよ。 ……でも今日はちょっと疲れたね。そろそろ眠ろうかな」  理香子が布団を敷き終わった後リビングに戻ると、恭介はダイニングチェアーに座ったまま寝息を立てていた。  恭介を肩に担ぎ布団に寝かせると、理香子も自分がかなり疲れていることに気が付いた。  明日、朝食の後すぐ出かけられるように準備をすると自分も床に入った。  理香子は夢を見た。  亘はやはり恭介と同一人物だったと判明し、コンクールで共演する夢。  良かった!何もかも元通りになった!  理香子は全身全霊で演奏した。  今までで一番満足が行く素晴らしい合奏となった。  恭介にとっては高校最後のコンクール。  結果は優勝。鳴り止まない拍手喝采。  コンクール終了後、管弦楽部の皆で手を取りながら優勝を祝い、理香子は恭介を探す。  人混みの中、見つけたと思って駆け寄っても恭介はどこにもいない。  藤堂先輩は?藤堂先輩は? 「すみません、藤堂先輩を探しているのですがどこですか?」  聞いても誰も優勝したことが嬉しいのか、笑って答えてくれない。 「誰か……!」  そう叫ぼうと思った時目が覚めた。  一瞬どこだかわからない。  ゆっくり見渡すと見覚えのある部屋だった。  軽井沢の別荘の理香子の部屋だった。  両親が心配そうにベッドに横たわった理香子を覗き込んでいる。 「私は……?」  理香子が呟くと 「良かった。目を覚ましたのね」  母が言った。  両親は、梅雨が開けた頃からあまり元気がなかった理香子を違った環境に置いてみようと、ひと夏軽井沢の別荘で過ごす計画を立てたらしい。  軽井沢に到着し、家族でゆっくり過ごそうと考えていたのもつかの間、翌日から理香子がふらりとバイオリンを持って出かけるようになり、夕方まで帰らない。  どこに行っているか聞いても答えないので、ある日理香子の後をつけると、湖畔にあるベンチに座って同じ曲の同じところを何度も練習している姿を目にしたそうだ。  帰ろうと声をかけてもただただ練習を続ける理香子を両親は見守るしかなく、日々を過ごしていた。  ある雨の降る日、両親が止めるのも聞かず理香子はバイオリンを持って出かけ、そしてそのまま家の外で倒れたらしい。  40度の熱が5日続き、漸く峠を超えて今に至るとのことだった。 「藤堂先輩は?!」 「コンクールは?!」  理香子は叫ぶと、ベッドから飛び降り、玄関の扉を開け放つと湖畔へと走った。
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