ウンディーネの騎士はパンがお好き

1/1

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ

ウンディーネの騎士はパンがお好き

 お休みの日から数えて三日目。ウンディーネの日に必ず現れる騎士様は、今日もパン屋の裏手で剣を振っていた。曰く人に努力を見られるのが嫌いらしい。店が連なる裏手側、日もあまり当たらない場所で、彼は木刀を持ち素振りを続ける。  私はパン屋の娘で、日毎夜毎お店に並べるパンを売るために修行中の身だ。父からの口伝の技術と、母からの類い希なセンスを叩き込まれたのに、私のパンは今日も膨らまない。所々焦げて固くなったパンは店頭に並ぶはずも無く、袋いっぱいに詰まったそれは裏手の小鳥たちのご飯となる。  そんなわけで小鳥に餌をやっていたら、随分とこそこそと彼がやってきたのだ。裏手に人が居ることに驚いていた彼だけれど、皆には秘密でここを使っていいと言えば、彼の警戒はすぐに解けた。今や私の姿を見ると素振りを中断し、手を振ってくれるくらいには。  これだけ毎日派手に剣を振るっていれば、この周辺の店の人たちは彼の鍛錬に気付かないわけがない。店の人が分かれば、その顧客の噂話として広がる。街に噂が広がれば、簡単に騎士団へと伝わってしまう。そうとは知らずに彼は今日もこっそりやってきて剣を振るっている。鈍いのか、純朴なのか。冷えて固くなったパンを口に放り込めば、木の皮のような弾力が私の歯を押し返す。  盛況な陽の季節が終われば、空は高く遠く、風も一気に冷え込んでくる。小鳥たちは僅かな日溜まりに固まりその羽を膨らませ、ぴいぴいと泣き声を上げた。私は食べていたパンの皮を力一杯引きちぎり、細かく落とす。小鳥たちは身震いするように僅かに羽を広げ、地面に落ちたそれらを啄み始めた。 「今日も沢山持っているんだな」 「……いります?」 「ん」  どうやら騎士様は休憩らしい。裏手のドアに続く三段ほどの石階段に座り込み、乱暴に汗を拭う。私は袋に手を突っ込み指先に触れるその固い感触に――指を止める。 「あまりおいしくないですよ」 「いつもそれを言うなあ、お前」 「でも美味しい例しはなかったでしょう」 「おいしくなかったことも、あんまりねえよ」  あんまり。ただの予防線のつもりがしっぺ返しを食らってしまった気分だ。彼の言葉に引っかかりを覚えながらも、一つ取りだし手渡す。騎士様はそれを受け取って、簡単に二つに分けてしまった。握力の差かもしれない。私も彼の隣に座って、パンを食む。 「ウンディーネの日は、なにかおありなのですか?」 「ん?」 「いつもいらっしゃるので」 「ああ、非番」 「非番」  非番なんてあるのか。確かに彼の着込んでいる服は、街を歩く騎士団のそれよりも随分と軽装だ。麻のシャツに、色の褪せたズボン。木刀の握りは染みこんだ汗で黒く変色しており、不躾なその私の視線に彼はにこりと笑う。 「持ってみるか?」  どうやら木刀に興味を持っていると思ったらしい。視線の先を辿る彼が快活に笑う。滅相も無い事柄に私は首を横に振るうが、彼は「いいからいいから」と強引に私の方にそれを差し出す。 「いえほんと、騎士様の私物に触れるなんてそんな」 「いいじゃねえか、俺たち見習い仲間だろ」  腕を引き私の手のひらにそれを乗せる彼の言葉に、私は目を丸くする。みならいなかま。耳馴染みの無いその言葉に「お前も修行中だろ?」と固すぎるパンを頬張り笑う。 「え、ええ。そうですね」  木刀は私が使っているめん棒よりもずっと重い。これを振るなんて、と持ち上げれば「持ち方はこうな」と、口にパンをくわえて、騎士様が私の握りを直す。振るってみたらやはり重く、木刀につられ前のめりに身体が倒れる。彼は愉快そうに笑い「重いよなあ」と私の手から木刀を取った。 「よっし食ったし練習再開すっかな」  そうして立ち上がる。随分と大きな背中に、先ほどの言葉が何度も反復する。みならいなかま。言われてみれば確かにそうで、それでもどこか恐れ多くてくすぐったい。 「お互い一人前になれるように頑張ろうな」  だけど、太陽のような笑顔を前に否定の言葉が出てくるはずも無く、私は照れ笑いを浮かべて「そうですね」と返すだけで精一杯だった。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加