言葉

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 口に出した言葉が、物体として落ちるようになってしまった。大声のものは大きく、乱暴に出した声は角が尖り、優しい物言いは柔らかな表面を湛えて、私の口から零れていく。  無から有を生み出せる私は、世界中で大活躍をする。橋の掛けられない崖に大声の『ヤッホー』をかけてやったり、溺れている人に『藻』を投げる。1番喜ばれたのは浮き輪を忘れた子供に『る』を出したやった時だ。丸にハマれば浮き輪にもなるし、縦に使えば乗りこなすことだって出来てしまう。私の『る』を持って海に駆けていく後ろ姿に、私はとても充足感を得てしまう。  そうして世界中に私の言葉が溢れたけれど、その顛末をすぐ隣で見ていた後輩は「アレがないっスね」と辺りを見回す。「あれ?」と言う私の口から輪郭の覚束無い『あれ』が飛び出して消えていく。ちゃんとはっきり存在を意識しないと、言葉はすぐ消えていくのだ。 「あれですあれ。『好き』って言葉」 「すき……?」  動揺を纏った『すき』は、床に落ちてしばらく身震いしたあとに消えてしまった。彼はそれを見下ろして「あー」と声を漏らし、思い耽るように視線を宙に投げる。 「消えないように、思いを込めたやつが嬉しいッス。できるだけ小さいヤツ」 「なんで……」 「お守りにしようと思いまして」  そんなもの、御利益も何も無いとは思うけど。試しに心の中で『好き』を反芻してみれば、舌先の上で甘い何かが蕩けて消えた。
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