星に願いを

1/1

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ

星に願いを

 薄暗闇の部屋。誰も居ない、午前二時。寝静まった街には通る車も少なく、随分と閑散としている。  低い唸り声をあげる冷蔵庫。大きく響く秒針。冷えたフローリングが夏の茹だるような夜の唯一のオアシスのような気がして、ベッドから抜け出した私はそれに肌を擦りつける。夜の空気を吸い込んだフローリングは見立ての通り随分と冷たくて、私は大の字に寝転びながら、暗闇に染まる天井を見上げた。  彼は、星を降らす仕事をしているという。  寝転がったまま腕を伸ばしてカーテンを引けば、ガラス戸の向こうに星空が広がっていた。私は寝転んだままそれを見上げて、名も分からぬまま星を指でなぞる。なぞりながら彼のことを思い出す。 『星を降らす仕事をしているんだ』  まるで秘密を打ち明けるような小さな声で。 『学校には内緒だぞ。バイトは禁止されているからな』  いたずらっ子のようにウインクを投げられたけれど、私の常識の物差しではさっぱり測れない文字列だった。ほしをふらすおしごと。覚束なく言葉をなぞれば彼はそうだと笑う。『流れ星を流してるんだ。皆の願いを聞きながらな』そう口にする彼は随分と大真面目で、揶揄する言葉も喉奥に引っ込んでしまった。  ということは、今もきっと彼は業務中なのだろう。いや、バイトと言っていたからもしかしたらシフト制なのかもしれない。お休みなのかもしれない。そう思いつつも、打ち明けられてからは妙に星空が気になってしまう。願い事を聞きながらということは、流れ星に願いを込めれば私の言葉も分かってしまうのだろうか。それともからかわれているのかもしれない。いや、からかいならばもう少しましな言葉があるかもしれないけれど……。 「メロンが食べたいなあ」  先日見たテレビを思い出して、私はそれを口にする。都合良く星が流れるはずも無く、暫く動かない夜空を堪能した私は起き上がり、素直にベッドに戻った。夏の暑さを緩める願い事をしたら、少しは過ごしやすくなるのだろうか。一層のこと冬が来て欲しいと願えば、ちょっとはやいクリスマスも迎えられるのではないだろうか。そんな滑稽なことを夢想しながら、エアコンを付ける。室外機が忙しなく動きはじめ、おんぼろエアコンは細やかな冷気を吐き出しはじめた。  次の日、欠伸をかみ殺しながら登校すれば、机の上にメロンパンが置かれていた。隣の席の彼は少し照れ恥ずかしそうに「食べたがってると思ってな」と言葉を紡ぐ。そうか彼は昨日仕事中だったのか。目の下に大きな隈をぶら下げながら、彼は欠伸を浮かべる。 「(メロンパン……)」  私はコンビニでよく見かけるそれを持ち上げながら「ありがと」と釈然としない気持ちを抱えながら、百円を渡す。彼はそれを受け取るのに暫く渋っていたが、奢られる筋合いもないことを説明すれば、少し眉間に皺を寄せながら、それを受け取ってくれた。 「あと、はやく寝た方がいい」  彼がそう口にする。私よりも一等大きな欠伸を浮かべる彼に、その言葉は随分と不釣り合いだ。  寝不足の彼はこうして、ちょっとずれた願い事を叶え続けるのだろうか。それってすごいことなのか、すごくないことなのかやっぱりいまいち計れない。  メロンパンは当然だけれど、メロンの味はしなかった。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加