揺蕩う波間

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揺蕩う波間

 岩場にぶつかった波が、砕かれ引いていく。白く泡だち跳ね上がった飛沫はあたりの岩を濡らし、逃げるように海へと還っていく。潮の匂い。海に冷やされた風を受ける頬。背中を照らす鈍い陽光の暖かさのちぐはぐ感も合間り、自身の輪郭がよく分かる、午後。  何も住んでいない海は、今日もたおやかに水面を揺らしている。水面を跳ねる魚もなく、魚を狙う鳥もない。潮騒だけが空気を揺らすその空間で、私は木の枝に糸という簡素な作りの釣竿を海へと垂らしていた。住んでいるものがいないので何も釣れるわけがないけれど、錆びた手すりに引っ掛けた決して揺れない木の枝を、ただただじっと見つめている。 「大漁ですか」  この海でなにかが釣れるはずが無いことを、彼は知っている。人懐っこい笑顔を浮かべて無遠慮に隣に座り込むそのふてぶてしさに、思わず眉根を寄せてしまう。 「そんな顔したら魚も逃げてしまいますよ」  そうして一言、態とらしく気付いたように「もうこの海には魚は居ないんでした」と笑う。嫌味よりかはこの代わり映えのない木の枝の方が、まだエンターテインメント性がある。返事をする価値もないその言葉達を無視して、私は揺れない木の枝を見つめていた。彼はしばらく私の言葉を待っていたけれど、待ちくたびれたのかそのまま背をこちらへと寄せる。 「無視だ」  潮騒の隙間に、機嫌を損ねたような言葉が混ざる。拗ねたように体重を寄せる彼。木の枝はまだ動かない。水面に垂らした糸の輪郭を、退屈そうに影が舐める。 「いい加減こっちに来ませんか」  ようやく終わった建前に、ため息が出る。「行かないよ」とだけ言葉を区切れば、彼は面白くなさそうにため息。「あなたが行かなきゃ僕も行けない」と、鬱々とした吐息に混ざる言葉に、ようやく私は笑う。 「行けばいい。希望者は誰だって行けるんだろう?」 「あんたを置いていくなんて、目覚めの悪い」  甘えるように肩に頭を持たれかけさせる彼の言葉に、私は応えない。  死んだ星には価値がない。見切りをつけられたこの星は、もう残っている生命も少なかった。殆どの生き物や貴重な植物は他の星へと移住を済ませ、空っぽの建物と取り留めのない植物だけが乱立する。  遠くで飛行機雲。青空の上まで昇っていく。 「1匹でも釣れたら、ここから引き剥がしますからね」  恨み深そうな声に、頬が緩む。決して揺れない木の枝は、錆びた手すりにもたれかかったまま、動かない。
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