波打ち際の攻防

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波打ち際の攻防

 引き潮の名残か、砂浜の上には薄く水が張っていた。まるで鏡面のような水たまりは青々とした空をそのまま盗って映す。  空が落ちてきたようだ。  歩けば靴跡の水溜まり。囁かな音を覆い潰すように、遠くで幾重の大波がちろちろと砂浜を食んでは戻っていく。  ためしに靴底で砂浜を地面にひっかけば、ヴェールのような薄い水面は僅かにゆれ、くっきりとそこに跡を残す。波はまだ遠い。体全体を使って、一文字一文字描いていく。  一際大きく波打って、無情にも海水がそれらをさらっていった。もはやもう文字の跡形もない。  遠くで駆けてくる足音。「なにか楽しそうなことしてるな!」の大声。 「……別に、なーんにもしてませんよ」  消えてしまった名前を踏みつけながら、私は砂浜を沿うように歩いていく。先輩は不思議そうに首をひねりながら「そうなのか?」「だが……」と歯切れの悪い言葉を零しながら、私のあとをついて歩く。  波の音は遠い。振り返れば、先程の大波など嘘のように、ちろちろあぶくを湛えながら、砂浜の先を舐めているだけだ。  絡め取られた先輩の名前は、海へ還ったのだろうか。別に何かおまじないをするつもりなんてなかったけれど、盗られたような気がして気分が悪い。
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