半夏生

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半夏生

 ヘッドライトに照らされて、辛うじて輪郭を取り戻した水曜日。雨粒は夜に紛れて街へと振り落ち、時折照らされては、自身を思い出したかのようにその身を光らせる。  音は漣。たおやかに街へと響く。雨傘を閉じる。耳朶を打つ反響音は止み、雨の音に侵されていく。頬に、髪の毛に、額に、雨が伝う。生温い風が肌を滑った。夏が近い。暫く太陽は見ていないから、そろそろ梅雨が明けるはず。  天気予報は雨だった。コピーアンドペーストを繰り返したような傘マーク。何度も繰り返される洗濯への悲鳴。情報番組の中継から見える傘の花々。  家を出る際には降ってはいなかったけれど、今にも降るぞと顔した曇天は、お昼頃には決壊した。そうして放課後には断続的な雨粒を落とし、日が暮れても、それは止まない。 「持ってるじゃん」  声がする。挨拶もせずにつっけんどんなその言葉は、不思議と不快に響かない。張り付いた前髪を拭いながら「持ってるよ」とそちらを向けば、声の主はため息を吐いて私に大きな傘を傾ける。 乾いた茶色の髪の毛が、風で揺れる。私の重い黒髪は、ピクリとも動かないのに。  彼が頬に触れて、肌は温もりを思い出す。「うへえ濡れた」と指先を振るうと、カバンから大きなタオルを取りだした。「使ったけど」と頭から被せるそれに顔を埋めれば、微かに彼の香水がかおる。  傘は傾く。私の方へ。傘の向こうの彼の肩口は、歩く度に色濃く夜に溶けていく。 「肩が濡れてる」  私が言えば、彼が笑う。 「お揃いだな」  そうして彼は大きな手でタオルを掴み、私の頭ごと乱暴にかき撫でた。香水と雨音とタオルに支配された世界で拾う「風邪ひくなよ」の彼の声に思わず少しだけ、口角が上がった。
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