午前二時のカードゲーム

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午前二時のカードゲーム

 遠くからやってきたらしい悪い悪い魔王様は、姫を攫うでもなく、街を壊し続けるでもなく、勇者と戦うでもなく、三ヶ月連続赤字を叩きだした我が宿屋の唯一の客として、今日も惰眠を貪っていた。夜に生きるらしい彼は昼夜逆転の生活を送っていて、夕方頃にその草臥れた身体を起こす。私はそれに合わせて晩ご飯――ならぬ朝ご飯をつくり、星が瞬く頃にシーツを取り替える。魔王はそんな自堕落な生活を健気にも追いかける私を気遣うでもなく、人間のふりなどして散歩やら、酒場やら、好き勝手に街を堪能していた。  そんな調子だから王都から来た勇者御一行は彼に気付かず違う街へと行ってしまうし、彼の仇らしい女神を敬う境界も、毎週欠かさずミサを続けている。結構なことだ、と魔王は日曜日に礼拝堂に集まる人々の波をせせら笑うけれど、決して邪魔をしたりだとか止めようだとかはしなかった。しかしながら私が行けば酷く嫌な顔をして「くさい」と連呼する。全く酷い話だ。お返しに目の前に聖水の小瓶を出してやれば、暖炉の中へとくべられてしまった。安くは無かったのに。  そんな好きな時間に起きて、好きに過ごし、たまにそれらしく従者である魔物たちと神妙な話をする彼は気まぐれに、眠れない夜のカードゲームに付き合ってくれたりする。仕事をして妙に冴えてしまった日にカードを持ち食堂へと降りれば、暖炉の火の前で読書を嗜んでいた魔王が顔を上げる。ただのロッキングチェアがこれほどまでに威厳を持つのは彼が座った時だけだろう。席に着く私に、彼も腰を上げて、食堂の長机の方へと歩き、対面に座る。 「城には帰らないんですか」  寝不足というものは、不機嫌がくっついてくるものだ。客に浴びせる言葉だけれど、なんとこの魔王、無銭の客なのである! 王なんて冠しているのに全くどうしようもない話だ。  本来なら放り出してしまいたいところだけれど、お金を出さない代わりに彼は私に魔法を提供してくれる。例えば料理のかまどの種火だったり、お風呂の水だったり、なんならほうぼうと燃えている暖炉の炎も、その薪も――彼が魔法で生み出してくれたものたちなのだ。  魔王が黙って机を爪で叩く。彼にインフラを握られた私は黙って草臥れたカードを繰り、二人分配り始める。暖炉しか光源がないから、机の上は薄暗闇だ。魔王は暫く配られるカードを見つめ、指先を回した。途端に机の上のランプが震え、紫の炎が灯る。 「帰りたいときに帰る」  ちろちろと光る紫色の炎が、ほど白い彼の顔に影を生み出す。人とは違う縦長の瞳孔が、私の姿と、先程の言葉を値踏みする。静寂の中、不釣り合いなほど大きな音を立てて薪が爆ぜた。痛いほどの沈黙に「そうですか」と、そして本当に小さな、空気を震わす程度の声量で「すいません」と私は呟く。 「お前は寝ないのか」  伏せられたカードを開き、彼の表情が途端に曇る。どうやら引きが悪かったらしい。二人だけだから相手の手札は丸わかりだ。やたら固まったペアのカードを机の上に捨てながら、カードの上を彷徨う彼の長い爪を視線で追う。  ペアになったカードが落ちる。薄暗闇の机の上に、1組、2組、カードが散らばる。 「寝たい時に、寝ます」  揶揄するように魔王の言葉を踏襲すれば、彼は困ったように眉を寄せ「ならもっと長丁場なゲームを選べばよかったか」とようやく見つけたペアカードを捨てる。どれだけ夜行性だと思われているのだろう。形式ばった欠伸を零せば「下手くそだな」と口角が上がる。カードゲームは貴方の方が下手くそですけど、なんて心の中で悪態をつけば、パチンと再び、薪が爆ぜた。
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