高架橋

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高架橋

 秋空に、白球が一閃。薄い青空を両断するような球はぐんぐんとその飛行距離を伸ばし、そうして四分円の輪郭を描くように落下する。  高架下にある河原には、広く人工芝が敷かれていた。高架下を挟んで右側には草野球場、左にはサッカー場。素っ気ないフェンスで区切られたそれらの境にある細長い空間は、キャッチボールをするにはおあつらえ向き過ぎる場所だった。難点を上げるとすれば、時折走る電車の音で相手の言葉が聞こえない程度だろう。しかし聞こえない言葉に「なんて言いました?」なんて大声と共にボールを投げることだって楽しい。そうして私たちはボールとグローブを持って高架下に集まる。  高架下ではよく誰かが練習しているのか、線路を支えるコンクリートの支柱には、無数のボールの黒い跡が残っていた。なかなか上手くならないのか、上手くならない人たちが集まっているのか。斑点のように広がる跡は、コントロールの悪さを露呈しているようだった。  ボールを投げる。慣れていないので飛距離はあまり出ない。  先輩は私の覚束ない放物線を器用に拾って、投げ返してくれた。「思い切り振りきるんだよ」と、先輩は笑う。彼の球は、秋空によく映えていた。台風の後の晴天のような、からっとしたその送球はどこから投げても私のグローブに収まってくれる。  ボールを投げる。電車が走る。轟音と共に流れていく窓に透けて、青空が見えた。  先輩はタイミングが悪いのか、よく轟音にあわせて言葉を放つことが多かった。そうして喋った後で照れて笑うので、何を言うのか気になった私は「なんて言ったんですか?」とボールと言葉を投げ返すのだ。先輩は四方八方飛び交う球を器用に拾っては「恥ずかしいから言わない」と送球する。綺麗な放物線を描く球は、素直に私のグローブに吸い込まれる。「もしかしてわざとですか?」と返せば決まって「それはきみの送球?」なんて軽口を叩くのだ。  ボールを投げる。コンクリートの支柱に跳ね返った球は、私のグローブの中に収まった。放課後になりたての時間。野球場も、サッカー場も、空っぽのままだ。誰も居ないこの空間で、渡されたボールと、相方の居なくなったグローブを握りしめる。秋が来て、冬が来てもなおキャッチボールは続いていたのに、どうにも卒業とやらには勝てなかった。  この駅から都会へと進むその路線のどこかの駅に、先輩は住んでいるという。雲を掴むような話だ。私はもう一度球を投げる。あの頃よりも上手くなった投球は、見事壁の黒い染みを踏んづけて、私の手の中に戻ってくる。  先輩の言葉を、そして先輩を攫ってしまった電車は、私の頭の上を駆け抜けていった。どうせ攫うのであれば、私の気持ちも攫ってくれたらいいのにと、小さくなる最後尾車両を見ながら、思う。  支柱に目掛けてボールを投げる。跳ねたそれは空へと跳ね上がり、あらぬ方向へと飛んでいく。 『どこに投げてんだよ』  離れていくボールを仰げば、苦笑を交えた彼の声が聞こえた気がした。そうして思うのだ、きっと先輩なら気持ちを暴投したところで――受け止めて、ちゃんと投げ返してくれそうだと。  だったら投げればよかったのにね、と、人工芝に落ちたボールを拾い、高架橋を見上げる。からっぽの線路の上に陽光が滑り、わたしはちりりと、焦がれる心臓の音を聞いた。
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