『春』と『冬』

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『春』と『冬』

 寒い季節に舞い散る花びらがあるという。春も芽吹く季節、膨らんだコブシの花がそろそろに花を開き始める頃に、私はその話を聞いた。春とは言えど吹く風はまだ冬の香りが残っていて、日陰に入ると随分と寒くて、これよりもずっと寒い時期に芽吹く花なんてあるのかと、腕を擦りながら聞いていた。  少女の名前は『冬』という。冬に産まれたからとその季節を冠した名前を持つ彼女は、穏やかに笑っていた。  私の名前は『春』という。同じ安直な名付けをされた同士、私たちはよく一緒にいた。  冬は名前の通り、冬のことをよく知っていた。寒い季節に舞い散る花びらも勿論そうだけど、この季節になると抜群に美味しくなる食べ物だとか、寒さの凌ぎ方やスカート丈を短くしても寒くない方法などを私に教えてくれた。代わりに私は春のことを教えーーたかったが、桜が咲く程度しか知らない私は、何も彼女に教えることは出来なかった。  日を追う事に緩まっていく気温。今日が最後かもと風に吹かれて食べるコンビニの肉まんは、真冬のそれよりも美味しくない気がした。冬は過ぎ去る季節を名残惜しむように目を細め、風の吹く方向を見ていた。私は僅かな暖をと思い、彼女に寄り添う。冬がこちらを向く、ふと細まる視線に、私が彼女に抱くそれよりも深く濃い感情がある事を、よく知っていた。 「寒い季節にね、花びらが散るんだよ」  彼女はそう言った。脈絡のない言葉に私は首を傾げたが、だいたい私たちの会話は脈絡のないものなので深く考えずに「嘘だあ」と笑う。風で冷やされた指先が冷たい。冷たくなった肉まんの最後の一口を口の中に放り込んで、そのままポケットに手を入れる。 「ほんとだよ」  冬は笑って「暖めてあげようか」と言った。素直に手を差し出せば、彼女は両手で私の手を包み、息を吐きかける。緩い温かさが皮膚に滲む。情念の籠ったそれを、私はいつも知らんぷりする。 「どこの世界の話しよ、それ」 「んー、ここよりもうちょっと北の方」 「北ってアバウトな」  冬は私の指先を握りこみながら「ホントの話だって」と笑う。そうして私の指をすっぽりと収め両手を握り彼女は、種火を吹き消さないような緩さで、もう一度息を吐きかけた。もう白く濁らない、春の吐息を。  隙間から纏わる彼女のそれは、不思議と嫌ではなかった。それでも祈りに似た彼女の出で立ちが何故か少し悲しくて「じゃあ、それを見たら冬を思い出すね」と私は言う。卒業が迫った私たちにはその言葉すら少しセンチメンタルに響く。彼女は笑う。「もっと思い出してよ」と。私も笑う。「確かに」と。  寒い季節に舞い散る花びらがあるという。それは掌の上で儚く、穏やかに溶けることを、私は大人になって初めて知った。  好きな人と別れる時に、花言葉を教えなさいとはよく言ったものだ。雪を見る度私の指先は彼女の吐息と、笑顔を探して僅かに藻掻く。
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