あのとき聞いた彼のピアノ

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翌日、午前中の授業に大学へ行くと、席へ座るなり友達の高瀬が興奮したようにこちらへ身を乗り出してきた。 「なあ瞬、お前ピアノ弾けたん?」 「はあ?何?」 高瀬は自分のスマホを取り出すと、ほらと言うように何かを開いて瞬に見せてくる。 「これってお前だよな?なんかめちゃくちゃバズってんじゃん」 見せられた画面には、昨日、駅でピアノを弾く瞬の動画があった。どうやら昨日、SNSに投稿されたものらしく、目を剥くような再生回数といいねが付いている。 少し離れた場所から撮影されているとはいえ、瞬の横顔がはっきり映っているので瞬を知る人であれば誰もがこれが瞬だと気づくだろう。 「……なにこれ」 「え?これお前狙って載せたんじゃねーの?」 「んなわけないだろ、誰だよのっけたの」 いつのまに撮られてたんだろう。あの時、自分は周りをほとんど見ていなかったので気づかなかった。 自分のスマホでもSNSを開いて確認してみる。投稿元のアカウントを見たが、誰か全く分からなかった。プロフィール欄には何も書かれておらず、生年月日だけが載っていて犯人は瞬よりも3才年下だということくらいだ。 「え、ってことは無断で載っけられたってこと?それはだめだろ」 「ほんとだよ」 瞬の動画にそえられたコメントには「ピアノ男子やばい!」とだけ書かれていた。 それからが大変だった。 大学で知り合いに会うたび、動画のことを言われるようになってしまったのだ。大抵は「あの動画って瞬くんだよね?」とか「ピアノ弾けるとか意外」とかいう、たわいのないやり取りばかりだったが、授業中や休み時間構わずあまりにも頻繁に訊かれるのでその日の授業が終わる頃には、ぐったり疲れていた。 「どんだけみんな見てんだよ…ヒマなの?」 SNSの拡散力というものを身をもって実感する日が来ようとは夢にも思わなかったし、こんな事になるのなら、あの時安易にピアノなんか弾かなければよかったとすら思う。 さらに原因の投稿を見ていると、そのコメントの中に「ここ〇〇駅だね」とか「彼、たぶん〇〇大学の学生だよ」とかいうこちらを特定されそうなコメントがあって余計に憂鬱になってしまった。 「つかさー、俺お前と3年友達やってきてピアノ弾けるとか初耳だったんだけど。なんで音楽やってるって教えてくれなかったんだよ」 大学内のテラスで課題を一緒にやろうと誘ってくれた高瀬の横で、スマホを片手にテーブルに伏せていると高瀬が不思議そうに訊いてくる。 「俺ピアノのこと全然わかんねーけど、正直めちゃくちゃ上手いと思うし隠す必要ないじゃん」 「……別に隠してるとかじゃねーけど、わざわざ弾けますーって言いふらす必要もないし」 「うそつけ、一年のとき一緒に軽音サークル見に行った時お前音楽苦手とか言ってたじゃねーか」 「……」 しまった、そうだったっけ。 「まあ言いたくなかったら聞かねーよ。その動画、炎上だったら目も当てられんねーけど、そうじゃないんだし。明日にはみんな忘れてんじゃね」 「ん……だといいけど」 なんて言おうかと考えていると高瀬の方からそう言ってきてくれて、助かったと思ったのと同時に申し訳ない気持ちになった。 しかし期待とは裏腹に、翌日になっても1週間がたっても同じような状態が続いた。それどころか、地元のまとめサイトみたいなところに転載されて「謎の大学生が弾いていた駅のピアノが話題になっている」という記事が書かれていたり、「#駅ピアノ」というハッシュタグをつけて弾いてみたという動画が上げられていたりとお祭り騒ぎのようになっていた。 さらにはバイト先で、酔ったお客さんに動画のことを言われ、ピアノもないのにここで弾いてほしいと無茶振りされたりもした。相手は常連のなかなか面倒なお客さんで、その時は店長に助けてもらって何とか逃げ切れたが、この時ばかりは本気で勘弁してほしいと思った。 バイトがあけて日曜日の朝。あのときと同じように歩いて帰宅する途中、問題のピアノのある広場へ足を向けた。 誰が見ているかわからないので、近くへは寄らず離れた場所からピアノを眺める。 まとめサイトでは人で賑わっているとのことだったが、今のピアノはあの時と同じようにひっそりとひと気がなく、誰にも弾かれずに朝日を受けていた。 1週間前、あそこでピアノを弾いてなければ今こんな事になってなかったのに。若干恨めしい気分で家に帰ろうとした時、後ろから「あの!」と大きな声が聞こえ、びっくりして背後を振り返った。
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