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そこにいたのは女の子だった。今どきっぽい服装と髪をして、多分瞬と同年代かちょっと下くらい。彼女は瞬が振り返ると、「あ、あの、先週ここでピアノを弾いていた方ですか?」と恐る恐る訊いてきた。
ああ、またか。と思ったが、流石にいきなり邪険にはできないので「そうだよ」と応える。
すると彼女は突然物凄い勢いで瞬に向かって頭を下げ「すみませんでした!」と謝ってきた。
「あ、あの!わたし…先週ここで、あなたの演奏を聴いて、動画を!その」
「ちょ、ちょっと待って、」
ひと気が少ないとはいえ、ここでは目立つし何事かと思われてしまう。いったん場所を移そう。そう言って半分強引に彼女を引っ張って早くからやってる近くのカフェへ入った。
「すみません…ほんと、わたしこんな事になると思ってなくて……」
彼女は百音(もね)という名前らしい。近所に住む高校生で、1週間前、瞬のピアノの動画をSNSに投稿した犯人だといい、そのSNSの管理画面を開いて瞬に見せた。
「あの時、部活に行く途中でピアノを聞いたんです。純粋にすごいと思っていろんな人に見てほしいって思って…それで、よく考えもせずSNSに上げちゃって……」
本当にすみません…とあまりにも恐縮しきった様子を見て、一気に怒る気が失せた瞬は「別にいいよ」と返した。
「けど」
「良いって。悪意があったわけじゃないんだったら」
「はい…」
「あー…けど一個だけ。投稿してこれはマズイって思った時、消そうとは思わなかった?」
「思ったんですけど…もらったコメントが好意的な内容が多くて…それなのにもし、無断で載せたってばれてしまったらその人たちに何て言われるかと思うと怖くなってしまって……」
「ああなるほど」
大勢の人を裏切ったらその反動で炎上だってあり得るわけで。それで引っ込みがつかなくなってしまったらしい。
「まあいいや、一時的なものだろうしそのうちみんな飽きるだろ、今度から気をつければ」
「はい…すみません……」
彼女も自分の投稿にこんなに反響があるとは思ってもみなかったのだろう、お互いにSNSって怖い、という話をしてあとは自然におさまるのを待つしかないという結論になった。
「俺ももうあのピアノには近づかないようにするし、今後弾くこともないだろうから」
あのピアノじゃなくても弾くことはないだろう。あの動画が瞬にとって最後の演奏だと考えると、さほど悪くないような気もしないでもない。
すると百音はえ?と酷く驚いた表情で顔を上げた。
「え、な、何でですか?私が投稿しちゃったからですか?」
「いや、そうじゃなくて。もともと辞めようと思ってたんだ、何年も前から」
そう思いながらやっぱり辞められず、こっそり家で弾くという状態を何年も引きずってきた。そしてこの就活を機にすっぱりやめようと思っていたのだ。
「好きだけど、好きだけじゃ何にもならないし」
すると何故か百音は必死な表情で瞬の方を見てきた。
「けどやめなくてもいいんじゃ…それに瞬さんの演奏なら、音楽関係だっていけると思います。それぐらい凄いと思いました、やめるとか言わないでください」
「ありがとう、でも俺レベルの人なんかザラにいるし、音楽でやっていけるのなんかほんの一握りなんだよ」
「でも、好きなんですよね?」
「そうだね」
好きだから好きなままで終わりたいと瞬は思っているのだ。限界を知らないまま終われば夢としてどこまでも続いていける気がするから。
「やめるとか言わないでください…こんな、私が言う事じゃないかもしれないんですけど、動画のコメントにたくさん、感動したとか、元気出たとか、いろんな人が残してくれてるんです。また瞬さんのピアノ見たいって言ってくれている人がたくさんいてます。なのに、そんなこと」
「でももう決めたことだから」
この話はおしまい。そう言って話を切り上げると、彼女の分のお代も払ってカフェを出た。百音が背後から「私ずっと待ってますから!」と声を張り上げたが振り返らなかった。逃げているような気がしてかっこ悪いと思ったが、かと言って振り返るのもかっこ悪い気がした。
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