あのとき聞いた彼のピアノ

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 最後の和音で締めくくる。静寂が戻る。すると最初に弾いた時よりももっと大きな拍手が聞こえてきて後ろを振り返ると、みたことがないくらいの人だかりが広場にできていた。 その誰もが瞬の方を向いていて、その中を百音が興奮したようにやっぱり凄いです!と言いながら寄ってくる。高瀬も同じようにこちらへやってきた。 「やっぱ隠す必要ねーじゃん、弾ける奴はもっと弾けばいいのに」 「まぁ、また今度かな」 ピアノを離れると人垣は徐々にまばらになって、やがて何事もなかったように元に戻る。 ほんの少しの間とはいえ、瞬がピアノを弾いている間この空間にいた人が笑顔になれるのなら広場で弾くピアノもまあ悪くはないと思えた。ピアノをやめるのはまた延期になりそうな予感がしている。 今度はあれ弾けよと無茶振りしてくる高瀬と喋っていると、百音が広場の向こう側から誰かを見つけて手を振った。 「あ、国見さん」 百音に国見と呼ばれた男性は、こちらへやってくると瞬に向かって深々と頭を下げた。 「ピアノを弾いてくださった方ですよね、ありがとうございます」 「え?あ、えと、はい」 慌てて瞬も頭を下げ返すが何のことかさっぱり分からないでいると、隣にいた百音がピアノを寄付してここに設置した人だと教えてくれた。どうやら百音の近所に住む人らしい。 「はい、ここの駅長さんの好意で、ピアノを設置させてもらったんですが、なかなか誰も弾いてもらえなくて。どうしようかなと思っていたところを瞬さんが弾いてくださって…それをきっかけに、色んな方に弾いてもらえるようになったので本当に感謝しています」 「いや、俺はそんな大したことは…ピアノ弾いただけだし」 慌てて手を振って否定をするが、国見はそんなことはないですとやんわり笑う。そしてピアノの方を向くと、少し目を細めて言った。 「あのピアノ、実は私の弟のものなんです。弟はピアノが好きでピアニストを目指していたんですが、十年ほど前に亡くなってしまいました。ピアノも誰も弾かなくなってしまって、あまりにも寂しそうだと思っていた所に駅長さんがここならきっといろんな人が弾いてくれるんじゃないかって言って下さって」 「そうだったんですか……」 「さっき弾いて下さった花の歌、あれ、弟も好きでしょっちゅう弾いていましたよ」 そういう国見の横顔にどこかでみたような既視感を感じた。ただ、どこで見たのか思い出せず喉に小骨が引っかかったようにすっきりしない。 しばらく考えたが、まあいいやと一旦思考を放棄する。国見はこれからも時々このピアノを弾いてもらえると嬉しいと言った。 百音達と別れて高瀬と歩いていると、高瀬が「よかったな」と言った 「よく分からんけど、お前ピアノやるんだろ」 「ん……なんかここまで来たら簡単に辞めさせてもらえないような気がしてきた」 「だろうな」 じゃあいっそのこと動画配信サイト乗っければいい。駅のピアノ専用のアカウント作ってさ。お前はその専属ピアニストで就活よりもユーチューバ目指せよ。 と、冗談ともつかないことを言う高瀬に苦笑いを返しながら、まあそれも悪くないとか思っている自分がいることに気がついた。 バイト中、注文が入った地酒の新聞包装をめくりながらふとある記事が目に入った。それは十年前の記事で電車事故の記事だった。 当時高校生の男子が、線路に落ちた小さな女の子を助けて事故にあったらしい。その高校生の苗字が国見で、それがあのピアノを寄付した国見さんの弟の記事だと気が付いた。 「これ……」 記事に添えられた写真に目を見張る。その高校生は、あのとき、瞬が出会った男の子にそっくりだった。
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