龍神様の花嫁

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「文造、おはよう」  頬を撫でながら顔を覗き込む。朝日を受けていた睫毛が微かに動き、細く黒い瞳が現れる。 「おはよう、珠世」  一晩借りた寝床を片付け、二人して外に出る。朝の空気しんとしたが肺を満たす。 「昨日はよく寝られましたか」  外に出ると、私たちの姿を見て寺の坊主が駆け寄ってきた。手には箒が握られている。 「お陰様で。これでまた旅を続けられます」  文造はにこりと笑うと、商品の入った籠を背負い直した。 「行商の方だと聞きましたが、今までどんなところに行ったんですか」  坊主は目をきらきら輝かせて問うてくる。文造は腰を屈めて、坊主に目線を合わせて答える。 「ええ、色々なところに行きましたよ。山も海も川も。東も西も」 「へえ、すごいですね。では、何か遠い町の面白い話を聞かせてください」  寺から出たことがない坊主にすれば、全国を旅する私たちの話は心躍る冒険譚のようなものだろう。掃除の手を止めて、和尚さんに怒られはしないかと心配する私をよそに文造はいつもの話を語りだす。 「昔々あるところに海辺の小さな村に一人の少女が住んでいました」  両親を亡くした少女は、村長の息子と恋に落ちる。けれど二人の恋を引き裂くように少女は村の生贄になることが決まる。毒を盛られ、死の淵を彷徨う少女。そこへ村長の息子が駆けつけ、薬を飲ませて二人で逃げる。しかし、村人たちに見つかり追い詰められてしまう。 「そのときでした。大きな雷が落ち、嵐が吹き荒れたのです。二人は命からがら逃げだしました。その日から今もそこでは雷が鳴り、雨が降り続いています。雨は村を飲み込み、降り続いた雨で大きな湖ができました。人々はその湖を龍神湖と呼び、龍神様を祀っているそうです」  おしまい、と文造は坊主の頭を撫でて立ち上がる。坊主はこの話が気に入ったのか、なおも文造の袖を掴み質問を投げる。 「今も雨が降っているんですか? ずっと、ずーっと?」 「ええ、一度もやんだことはないそうです」 「それはどこにあるんですか?」 「さあ、どこでしょう。私も話に聞いただけですから」  坊主の話を適当にかわし、和尚さんに挨拶しようと辺りを見回す。いた。お堂の中に和尚の姿を見つけ、そちらに行こうとすると和尚もこちらに気づいた。と同時に和尚の視線は、まとわりつく坊主に注がれる。 「こら! 掃除の手を止めるでない!」  和尚の声に「しまった」と坊主は駆け出す。その姿は愛嬌があって、子供らしい。坊主は庭の隅まで駆けて箒を握り直すと、はたと思い出したようにこちらを振り返った。 「龍神様、きっと二人の姿に感動したんでしょうね!」 「え?」  思わず聞き返した私と文造に坊主は得意げにもう一度言う。 「だって、雷は二人に当たらなかったんでしょう? きっと、愛し合う二人を助けようとしたんですよ」 「さっさと掃除をせんか!」  得意げな坊主に和尚の声が刺さる。 「ここにも雷が落ちたね」  楽しそうに笑って文造は歩きだす。私も慌ててその背を追う。村を追われ、根無し草の私たち。それでも本当に龍神様が私たちを助けてくれたのだとしたら、これからの日々は穏やかでありますように。 「次はどこへ行こうか」  風が頬を撫でる。ふと、今も降り続く雨音が聞こえた気がした。
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