光~徳川家光が愛した女子~

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 慶長九年。徳川家康が朝廷より征夷大将軍の位を拝し、江戸に幕府を開いてまだ一年目のこと。夜の江戸城西の丸に小さくも元気な産声が響き渡った。  期待を込めて家康の幼名である竹千代と名付けられた和子は、家康の三男である秀忠と妻・お江与にとって待望のお世継ぎだった。「おめでとうございます! 若君様にございます!」と出産を見守っていた女達がお江与の手を握って歓喜の声を上げる。 「そうか……若か……」  荒い息をはき、汗で頬にその美しい黒髪を貼り付かせながらも、お江与はそうか、そうかと何度も呟いては隠し切れぬ笑みを浮かべていた。  生まれてすぐに和子が部屋を出たのは泣き声でお江与にもわかっていた。きっと産湯にでも入れているのだろうと思い、自らもはだけた衣を直し乱れた髪を簡単に整える。途中で夫である秀忠もやってきて、ようやった、ようやったとお江与をねぎらった。しかし、待てども待てども和子が帰ってこない。姫を産んだ時はすぐに帰ってきてこの腕に抱くことができたというのに、どうしたのだろう。あれ程元気に産声を上げていたから安堵していたが、まさか何か予期せぬことが起こったというのだろうか。そう思うとお江与はいても経ってもいられなくて、忙しなく動きまわる女達を呼び止めた。 「和子はどうしたのじゃ? 何かあったのかえ?」  泣き声さえも聞こえないことにお江与の不安は増していく。だが女達は若君の誕生に笑みを浮かべたままで、お江与の言葉に首を傾げた。 「いえ、そのような報告は受けておりませんが……」  和子に何かあったわけではないとわかりホッと息をつくが、ならばなぜ和子が帰ってこないとお江与は困惑する。産湯にしては遅すぎるだろう。 「ならば早う和子を抱かせておくれ。早うこの手に」  産まれてからまだ一度もこの手に抱いていない。お江与は早く我が子を抱きたくて仕方がなかった。産まれたばかりの我が子をこの手に抱いて、その顔を見せてほしい。今まで姫しか産んだことはなかったが、やはり若であるなら赤子の時から顔つきが少し違うのだろうか。  早く抱かせてほしいというお江与に、女達も秀忠も困ったような笑みを浮かべた。なぜ皆がそのような顔をするのかわからなくて、お江与は視線を彷徨わせる。すると女の一人が言い辛そうにしながら口を開いた。 「あ、あの……若君様は産湯を終えられて、今は乳母殿の所へ」  今頃は元気に乳母の乳を吸っている事だろうという女に、お江与は目を見開いた。 「どういう、ことじゃ……」  和子に乳母がつくことはお江与とてわかっていた。乳母を決める時にはお江与もまた色々と意見を言ったのだから。だがだからといって、それはあんまりではないか?
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