光~徳川家光が愛した女子~

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 世継として産まれた竹千代は乳母のお福に抱かれながら育ち、お福の息子である稲葉正勝らが小姓に付けられた。  竹千代が産まれた翌年には家康が大御所となって将軍職には秀忠がつき、お江与の腹には再び命が宿っていた。それに危機感を抱いたのはお福だ。  一歳になった竹千代は病弱で、少し成長も遅かった。お福は寝食を削って竹千代に寄り添い、その成長を我がことのように喜んだ。もはや我が子同然の竹千代が己の乳を懸命に吸い、あどけない笑顔を見せてくれる。初めて寝返りをうった時や立ち上がった時、竹千代はお福を求めるように両手を伸ばしていた。泣き止むまで抱っこをして庭をグルグルと回ったこともある。そんな竹千代は目に入れても痛くないほどであったが、ひとつ懸念されることは生母であり秀忠の正室である御台所・お江与が一度も竹千代をその腕に抱かず、感心も示さないことだった。庭ですれ違っても、声をかけるどころかその瞳に映しもしない。初めて寝返りをうった時、初めて立ち上がった時、初めて拙い言葉を話した時、お福はいつだって竹千代を抱いてお江与の部屋へ走り嬉々として報告するのに、お江与はそんな報告は聞きたくないとばかりに追い払った。  竹千代はお福が可愛がり、将軍の世継ぎゆえに衣食住の何にも困らない。だが世継だからこそ竹千代に対するお江与の存在は重要だった。御台所が竹千代を軽視すれば女中達も家臣達も竹千代を軽んじるようになる。その状況下でのお江与の懐妊。もしも腹の子が男児であれば、竹千代の立場が脅かされることは必定。最悪の場合は世継の立場を奪われてしまうことになる。  まだ一歳という幼い竹千代の寝顔をお福は見つめる。今でさえ、病弱な竹千代は世継にふさわしくないという声があることをお福は知っていた。だがお江与の子で男児は竹千代一人。秀忠に側室はいない。だからこそ未だ竹千代の立場は守られている。だが、果たしてこれからもそうだと言い切れるのだろうか? (姫であれば問題はない。姫であれば……)  お江与の腹が膨れるにしたがい、お福は毎日呪文のように己に言い聞かせた。産まれる和子が姫であれば、竹千代こそ唯一の世継ぎであるのだと。  だがお福の願いとは裏腹に、十月十日を経て竹千代の時と同じ夜の闇に響いた産声は、男児のものだった。
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