Hervest

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「ん?」  足元に何かが蠢く感触を覚えて体を起こした。椅子に座っている。どうやら仕事をしながら机に突っ伏してうたた寝していたようだ。体を引いて足元に視線を巡らす。 「……お前か、チビ」  足元では飼っているペットのマイクロミニブタがひくひくと鼻を鳴らしていた。数年前に事業に失敗した友人が飼育を継続できなくなり保険所送りは忍びないと思い譲り受けたものだ。もうとっくに成体になっているだろうに子犬程度の大きさしかない。最新のブリード技術は大したものだ。  伸びをすると間接から音が鳴った。もう若くない。夜更かしが堪える年になってきた。  立ち上がりチビを抱きかかえてチビの寝床に運んだ。研究所の中を自由に徘徊されてはたまらないので一応の柵を設けているのだが、活発なこいつはよく柵を破ってしまう。まあ雑貨屋の金網を結束バンドで固定しただけなのだから仕方はないだろう。  寝床に寝かしつけてチビの腹を撫でた。生来、情希薄な性質だが長い間共に暮らせば愛着も湧く。最初の主人に捨てられたこいつへの同情もある。しかし 「とはいえ、このままだと私も同じ道をたどることになる。そうしたらお前の末はトンカツか角煮か……」  人間の言葉を理解できるはずもないチビは寝床で呑気に鼻を鳴らしている。 「おうおう、飼われてるだけの畜生は呑気だね」  実際問題、私の経済状況は逼迫している。  仕事の景気は大不況。いつ解雇されてもおかしくない。そうなったら当然、愛玩動物を飼育する余裕などなくなる。  私はとある天文台が併設された研究所に努めており、泊まり込みで研究者のまねごとをしている。研究内容は地球外の知性体に関する調査、つまりは宇宙人とのコンタクトをとることだ。宇宙空間に向けて減衰率の低い無線電波を放射しその結果を観測している。今のところ目に見える成果は出ていないが、もしも成果が出ればそれは歴史的な発見となるだろう。もちろん、研究所は普通に天体の観測をしている部署もある。 研究所は国営であり資金は国から出ている。しかしこの世知辛い世の中だ、予算は年々削減されている。理解はできる。予算は有限。ならば目に見える成果が出ていない部署に回すくらいなら、既に大きな成果を出している場所に回した方がいいというのが当たり前の考えだろう。宇宙人を探している天文台よりももっと予算を有益に、短期的な利益を上げられる部署はいくらでもある。 無論、そう言った短絡的な成果主義には予算を得られるような成果を出すためにまず予算が必要であるという現実がその視点から抜け落ちているのだが。しかし限られたパイを奪い合う以上、如何ともしがたい現実がそこには横たわっている。 そうでなくても昨今の緊迫した国際情勢からくる防衛費の増大のあおりを受けているのだ。  まあとにかくそう言った次第で私の前途はどうにも薄暗い。  先日も国会で宇宙開発や天文観察に関する予算を削減する議論が行われたらしい。もしもそうなったら我が研究所でも人員削減が行われるだろう。 「やれやれ」  首を振って立ち上がった。  私が他の者よりも劣るとは私自身も考えていない。しかし、客観的に見て他を抜きんでるほどの実績を積んだかといえば……。 「駄目だ。一人だとネガティブに転ぶ……」  ついでに独り言も多い。 「仕事に戻ろう」  チビの柵が固定されているのを確認すると仕事部屋に戻った。節電のため夜間は薄暗い研究所内を移動すると気分まで滅入ってくる。まるで私の前途を暗示しているようだ。  スリープさせていた端末を立ち上げて作業を再開する。  子供の頃、読書が好きな子供だった。よく学校の図書室に行って海外の古いSFを借りた。幸福な物語ばかりではなかった。中には陰惨な結末もあった。でも宇宙を目指す人々の姿に憧憬を覚えた。  昔、人は日本の足で立ち上がった。そうして人間になった。やがて車輪を開発して版図を広げ、船を作って海を拓き、ついには飛行機で空を征した。ならば次に目指すのは見果てぬ天頂、宇宙しかないだろう。  その思いが私の人生を決定づけた。  それからの日々、勉学に励み研鑽を積み続けた日々は充足した者だった。そしてある意味で私は目標を達成した。しかし駄目だ。これまでの日々、私はまだ決定的な成果を上げていない。  まあ、もとより見果てぬ夢想だったのかもしれない。  資源には限りがある。  誰も現実を生きている。夢に投資できる篤志家は稀だ。  ならば憧憬は夢のままに終わるのかもしれない。  再び気力が萎え始めた。  ため息を吐く。  しかしその時、モニターの端に新しい通知が灯った。  それは交信無線の受信用アンテナからの通知だった。  それが意味することはすなわち――  研究所では彼方へ向けてモールス信号の無線電波を照射している。その信号に対して返信が来たのだ。  しかもあちらもモールス信号で。奇跡的に同じような文明を築いているのでもない限り、あちらはこちらのフォーマットを理解して合わせることが出来るほどに高度な文明なのだろう。  幸いなことに『彼ら』は人類と友好的接触を望んでいた。  そしてそこには宇宙のある座標が添えられていた。未だに飢餓と渇きに喘ぐ人類へ満ち足りるという幸福を贈る、と。しかしそのためにもどうか星の海へと漕ぎ出してほしい、とこの星に開国を促したのだ。  なるほど、私は思った。  人は地に立った。陸を駆け、海を渡り、空を征した。今、星の彼方に羽ばたくときが来たのだ。  そのためには国の協力が必要だ。さびれた天文台の研究員には手に余る。いや、いざという時はそれこそ国境を越えて全人類が力を合わせて取り組むべきだろう。  それからの日々はこれまでの日々とは違いひどく慌ただしいものになった。  まず私は研究所の所長に報告した。  当初、彼は意味が分からないといった顔で首を傾げた。そして私に「とうとう狂ったか」などと失礼なことを言ってきた。しかし時間をかけて繰り返し説明をするとようやく彼は理解した。彼はみるみる顔を輝かせて歓声を上げた。その声は研究所中に響き、その夜は皆で盛大な宴を執り行った。  次に私は所長に連れられて研究所を管轄する省庁を訪問した。そこでまず担当の職員に会い事情を説明した。彼に対する説明も時間を要しその日の夕方までかかった。事情を理解すると彼は慌てた様子だった。無理もない。宇宙人と友好的接触に成功したのだ。前例もなければ手順書もない。彼は話を持ち帰り上と相談するといった。  少しして省庁を管轄する大臣に呼び出された。事前に十分な説明を受けていたのか大臣への説明は一度で済んだ。大臣はこの事態のかじ取りを国で主導したいと言ってきた。  妥当だと思った。国としても事態を重く見てこの降ってわいた幸運を生かしたいと思っているのだろう。  『彼ら』の齎す叡智がどのような形であれそれは地球外の技術だ。国家間の緊張が続く軍拡競争の時代に合ってそれを手に入れることは大きな利となる。  無論、私も最後まで関わりたいという気持ちはあった。これまで私が研究してきたものなのだ。育て続けた作物の収穫を自分の手で行いたいのは当たり前だろう。しかしその作物を育てる農場は国の物なのだ。  何よりも『彼ら』は期限を定めたりはしなかった。急いては事を仕損じるということわざもある。ここは拙速な判断やくだらない功名心は捨てて時間をかけて、そしてより大きな括りで動くべきだろう。事は人類全体の未来にかかわるものなのだから。  大臣は話を総理に説明し国を挙げて宇宙へと進出する計画が立てられた。 『彼ら』に指定された座標を詳しく分析するとそこは木星の辺りだった。そして『彼ら』からの信号を精査すると叡智の受け取りは人間の手で行う必要があった。  木星までの友人飛行。これまでに前例のない事だった。  しかしそこでどこで聞きつけたのか同盟国から協力の申し出があった。  議会は大いに荒れた。折角の叡智を独占するべきではないか。いいや協力して一刻も早く手に入れるべきではないか。と。  結局、協力路線がとられた。  すると堰を切ったように協力の申し出が各国から殺到した。軍拡競争の時代だ、どこも時代遅れになるのを恐れたのだ。  気がつけば地上の殆どの国々を巻き込んでの大事業となった。いつの間にかどこの国も軍事力に回していた資源を投入して宇宙開発に乗り出した。  もしかしたらどこの国も本当は軍拡競争の止め時を探していたのかもしれない。  『彼ら』との交信からおよそ六年の歳月が流れ、叡智を受け取るための宇宙船が完成した。乗組員は国境や人種に関係なく厳しい試験によってえらばれた精鋭たちだった。  皆、人類全員に見送られて旅立った。  そして彼らは二年かけて見事に叡智を受け取り地球へと帰還した。  それからの日々は薔薇色の時代というほかない。  受け取った叡智とは素粒子の一種だった。それは容器に入っており解放と共に大気に溶けて地球中に満ち満ちた。  その素粒子は知性体の感情に反応して生産活動を行う性質を秘めていた。喜怒哀楽、そう言った尖った感情を収束させる代わりに現実的なある種のエネルギーを生産する。  そのエネルギー効率は大変優れており人ひとりの感情で家族四人を養えるほどだった。それでなくても生きていれば感情などいくらでも湧き上がってくる。  人類は無限の資源を得たのだ。  各国の軍事的な緊張はすぐに消え去った。そしてそのまま国境まで薄れていった。足りないから奪う、無いから我慢する、そんな痛みはもう消滅したのだ。誰もが皆、物質的に満たされ思うが儘に生きることが出来るようになった。  労働で人生を浪費することもなく。余暇を思索や芸術などの精神的な活動に充て、文明はかつてない高次に達した。  しかし私は変わらずに研究所の天文台にいた。  元々、宇宙が好きなのだからこれが私の余暇の過ごし方だった。  ある日思い立った。『彼ら』今の地球の様子を伝えそしてお礼のメッセージを贈ろう、と。  端末を立ち上げた。  しかし、と私はそこで手を止めた。  人類は発展した。その文明はもはや欠乏という病理を彼方に追いやった。全てが満ち、全てに溢れている。何も取り合う必要がなく全員に幸福が行き届いている。  だが、代わりに失ったものは。  言うまでもない。武力だ。もはや人類は何かを掛けて争う必要はない。ならば兵器や武装といったものは無用の長物に成り下がった。かつては莫大だった各国の防衛費は今では零になり軍縮という言葉を使わずとも、自然と武装解除している。  そしてそれは物理的な面だけではない。最近、人類は角が取れた丸い性格の人間が増えた。競争に勝つこと、他者を蹴落とし、罠に嵌め、陥れる。つまりは攻撃すること。争う上では必要なその性格的特性がこの繁栄の隆盛とは反比例する様に人類から失われている。  そういえば私自身、誰かと軽く口論した記憶すら果たして何年前か。  私の膝の上でチビが呑気に寝息を立てている。  チビ、マイクロミニブタのチビ。私のペットである。  愛玩動物として飼育するのに適する様に調整された小型の動物。  豚という動物の先祖は猪だったという。かつての人類は野生の猪を狩猟によって獲得していた。当然、怪我をする者もいれば命を落とすものもいただろう。やがて人類は猪を家畜化することに成功した。獰猛な性格、厄介な牙と毛皮、そんな猪の攻撃性をそぎ落とした新種をつくることによって。それが豚だ。  家畜化することによって狩りのような危険を冒すことなく安全に、そして安定して畜肉を手にすることが出来る様になった。  餌として穀物を与えてやり、丸々と太った頃にその命を収穫する。  さて。  もし豚に自我があれば、天から与えられる穀物は果たしてその目にどのように映るのだろうか。  そしてチビ。この種に至っては愛玩動物として獣の最後の牙である体躯すらそぎ落とされている。この種はもう自然環境では自力で生きていくことすらできまい。永遠に、主として何かに隷属して生きるしかない。  ふと考えてします。  『彼ら』の目的は何か。  もしかしたら『彼ら』は心優しく、満ち足りることを知る賢者であり、純粋に遥かな宇宙を隔てた隣人の成長を喜んでいるだけかもしれない。  だとしたらそれは単に喜ぶべきだ。人類は『彼ら』という心優しき隣人を得て大きな発展を遂げた。  しかし。  わたしはかつて人類の幸福が有限であった折に切り捨てられる側だった。だから僻み根性が染み付いているのかもしれない。 だからだろう。  考えてしまうのだ。  感情から資源を作り出すこの素粒子は素晴らしいものだが消費するものも厳密にはゼロではない。  当たり前だが物質に満たされれば尖った感情の発露は無くなる。そして尖った感情に晒されない環境で育った人間は当然だが感情の振れ幅が小さくなるだろう。  摩耗するのだ。  種族としての精神性が。どんどんとすり減っていくのだ。  もちろんこんなものはすぐに問題がでる物ではない。世代交代を通して徐々に徐々に進行していく。地球で問題になるとしてもそれは千年以上先の事だろう。  しかし地球ではそうだとしてもその先達はどうだろう。  くだらない妄想だ。  数千年前に造られた画期的なインフラに頼っていた宇宙人。ある時、それが使えなくなってしまう。ならばどうする。使える奴に使わせればいい。そして使える奴を飼育して育ったころに収穫する。なんて事のない。ありふれた畜産だ。  もしそうなら彼らの視線はいま丸々実った作物に向いているのではないだろうか。 宇宙は果てしないがそこにある資源は案外有限なのかもしれない。そして限りある資源を有効活用する様に畜産に手を染める文明があってもおかしくない。  ならば我々が飛びついたあの叡智は……。  私の危惧が外れるのならばそれでいい。  友達との酒の席で笑い話にでもすればいい。  だがもしも的中していた場合。 ああ、人類は今や牙を失い毛皮を剥がれ、代わりに丸々と肥えている。天から与えられた飼料に飛びついて自らそれを捨ててしまった。まるっきりの無防備だ。 もし今、悪意ある外部からの攻撃を受けたらひとたまりもない。 「ははは」 思わず乾いた笑いが込み上げてきた。 「考えすぎだ」  そう、考えすぎだ。この間見た古いSFの影響だろう。  ただ、気になる点は一つ。最初のメッセージからこれまで続くメッセージがない事だ。 「なにか大事なければいいが……」  考えて、やはり礼を述べようと考えた。  あの時と同じ無線電波に、同じモールス信号で。  文面を考えて、そしてメッセージを打ち込もうとして、モニターの端に通知が灯った。 「え」 『彼ら』からのメッセージが来たという事だろう。  一瞬、頭の芯が冷えた気がした。思わず唾をのむ。  端末を操作してメッセージを開き解読ソフトに読み込ませる。  画面に表示された。 『彼ら』の意思が込められたメッセージが。  それからの日々は……。
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