4人が本棚に入れています
本棚に追加
携帯電話の振動で目が覚めた。狭い部屋は朝の光で満ちわたり、私はあわてて時計を確認した。十時!?ーー遅刻、……いや違った、今日は土曜で休みだ。
汗ばんだ手の中でまだ携帯電話が振動している。名前の表示はない、けれど記憶を揺さぶる番号。私は震える指で画面をタップする。
「よ、元気?」
電気信号に変えられた懐かしい声で耳の奥がいっぱいになった。付き合い始めた頃、バカみたいに毎夜電話をかけて聞いた声ーー
「元気……だけど」
「あ、それ元気じゃないときに言うやつな。またぶっ飛ばしてんのか?」
軽い笑い声がスピーカーから聞こえてきた。どうしてこの人は声を聞いただけでそんなことがわかってしまうのだろう。
「そうですよ、ぶっ飛ばしてます、相変わらず」
「目に浮かぶよ、おまえがノンストップで動いてるところ。たぶん明日は無理だろなと思ってたんだ」
急に本題に突入して私は戸惑った。明日は無理だって、そんな声をしていたのだろうか。
「行って……いいのかな」
「いいから送ったんだよ。来れそうなのか?」
「まあ……今のところ」
「じゃあさ、持ってきてほしいものがあるんだけど」
私はギクリとした。彼にもらったものはたくさんある。ブレスレット、お古のギターピック、南米みやげの絵はがき、手作りのネックレス、おもちゃみたいな指輪。CDや本の類は借りたのかもらったのか見分けがつかないくらいだ。
「……なんでしょう」
「ビデオなんだけど……『CROSS ROAD』ってラベルがついてるやつ。持ってない?」
「あ……たぶん、実家にあるかな」
「あれ、実は親父の遺品なんだ。親父の友人に頼まれて探したんだけどないなーと思って、そういや万里に貸したんだって思い出してさ」
遺品ーーそんな大事なものを私は借りたままだったのか。
「ごめん、もっと早く返せばよかったね。明日必ず持っていくよ」
「悪いな、万里も忙しいだろ」
「そんなこと……」
三年ぶりに名前を呼ばれているのにどこか他人行儀な気遣いに、心の隅が冷えていく。
「じゃな、明日は俺も出るから」
「がんばってね」
うん、と聞こえるか聞こえないタイミングで通話が終了した。春のやわらかな陽射しが差し込む部屋で私は携帯電話の画面を見つめる。
付き合っていた頃は「忙しいだろ」なんて気遣われたことはなかった。ライブに出演する彼に「がんばってね」と励ましたこともなかった。
今ならこんなに簡単に言えることが、どうしてあの頃出来なかったのだろうーーそんな未練たらしいことをしながら、私は実家に電話をかけた。
最初のコメントを投稿しよう!