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市内で一番大きなコンサートホールの前に立ち、私は臆していた。この中には彼と彼の家族の知り合いがわんさかといる。入り口には大きな看板が立てかけられ、花束を手にした男女が次々と入場していく。
私が持っているのは頼まれたビデオテープだけで、チケットすらない。昨日の連絡だと送信されたメッセージを見せれば大丈夫だということだったけれど、本当だろうか。
気配を消そうと身を縮めながら受付の女性に画面を見せた。あっさり通されてホッとしたところで記帳を求められた。ボールペンを差し出したのは彼の母親だった。
「あ……」
思わず声をかけそうになって私はうつむいた。もしかすると彼はもう結婚しているかもしれないのに気軽に話しかけてどうする、名前を書くのか、偽名にすべきなのか、けれど字で彼にバレるんじゃないのか。タスクはそういうごまかしを嫌うのにーー
「まあ……来てくれたのね」
優しい声に私は思わず顔を上げた。彼にそっくりのえくぼを浮かべて彼の母親は微笑んでくれた。
「あの……お久しぶりです。その……タスクさんから……ご連絡いただいて」
「そう……あの子ったらあなたと別れてからそれはそれは荒れてねえ、笑っちゃうくらい」
息子が荒れて笑えるポイントなんてあるのだろうかとポカンとしていると、母親は私の肩に手を乗せた。その温かな感触に涙腺がゆるみそうになる。
「もう仲直りはしたの?」
「いえ……まだ……というか、なんというか」
「早く仲直りしちゃってね」
そう言うと他の来賓に挨拶をして同じように記帳を求めた。鼻の奥がツンとして涙が落ちないように気をつけながら名前を書く。
三年間ずっと、ケンカをしていることになっているのかーー
確かにケンカ別れだった。お互いやりたいことがありすぎて、自分のことばかりで相手を思いやれなくて、ひどい言葉ばかり投げつけた末のよくある別れ。
誰にも見られないように手早く袖で顔をぬぐって、パンフレット片手に空いている席を探した。
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