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彼はトップバッターだった。愛用のエレキベースを持ち上げると、会場中から歓声が起きた。あれは父親が使っていたフェンダーのジャズベースだ。そんなことはきっとここにいる誰もが知っていることなのに、私の中では特別な思い出だった。
彼の中学時代に交通事故で死んだ父親、家に残された大量のギターやベース、本棚がはちきれそうなほどの楽譜にカセットテープ。年代物のコンポや製造年月日のわからない真空管のアンプも全て彼が受け継いだ。私はおこぼれをちょうだいしてローランドのキーボードを使わせてもらった。
彼が父親の話をするとき、楽器を触らせてもらえるとき、特別扱いをしてもらっている気がしていた。高校生の私には彼に与えられるもの全てが胸を打った。
けれどそれは幻想だったと今ならわかる。秘密の暗号みたいだった父親の歌は、ここに何百といる関係者はみな歌えるし、あのベースも、舞台端に控えているいくつものアコースティックギターも、父親が演奏してたのを知っている人たちばかりなのだ。
彼がエレキベースを弾く、何度か会ったことのある彼の従兄弟が例のキーボードを弾く。感傷に浸る間もなく次々と出演者が出てきて、彼と父親のエピソードを披露する。
そのほとんどを私は知らない。子供時代の話をされて彼は照れくさそうに笑っている。そんな笑顔も私は知らない。
主役の「海道ワタル」どころか「海道佑」のことすら何も知らない私がどうしてここにいるのだろうーー終始和やかなムードの中、そんなことばかり考えてしまう。
彼がギターの弾き語りを始める。父親にそっくりだと言われるハスキーボイスで遺作を歌う。従兄弟のなんとかくんがキーボードを弾き、どこかで見たことのある誰かがボンゴを叩いている。
私が歌うことを許されなかった曲ーー「クロス・ロード」。
何を歌ってもいつも笑ってベースを弾いてくれたのに、この曲だけは何故かさり気なく妨害された。もの悲しいブルース調の曲をタスクが高らかに歌う。
あの隣にいたかった、あの舞台の上で一緒に演奏したかった。
男女の仲にならず付き合わなければ別れることもなかったのだろうか、ただの友人として長い付き合いになれば隣に立つことは許されたのだろうか。父親との思い出ももっとたくさん話してくれたのだろうか。
彼への恋心を秘めたままステージに立つ方がよかったのだろうかーー
追悼コンサートなのにそんなことばかり考えている自分が情けなくなった。ビデオテープは受付に預けて帰ろう、彼には会わない方がいい、そう心に決めて席を立った。
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