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夏休み直前に体調を崩す子供は少ない。気候の問題かそれともワクワク感が風邪菌を退治するのかは知らないがとにかくこの時期の看病代行依頼は少ない。しかも夏休みに向けて親の財布の紐も厳しくなっており遊び相手代行の方も低調で、だから私が三日連続でお茶を挽いているのもしょうがないことなのだけれど、それでも店長と二人きりというのはなんとなくサボっているみたいで居心地が悪い。うちの会社は店舗勤務と自宅待機という二つの働き方が選べるシステムで、店舗勤務の私は依頼が無くても固定給を貰える。しかし自宅待機は歩合制なのでそうはいかない。そういう人たちは副業で大学の食堂とか学校以外なにもない駅のコンビニのような、長期休みに人手が余る場所でアルバイトをしている。しかしなかには代行業一本で1000万近く稼いでいる人もいる。数ヶ月先まで予約が埋まっているというのだからちょっとした人気洋菓子店みたいだ。 先ほどお茶を挽いていると言ったがあれはもちろん比喩表現で、実際のところここ数週間くらいはずっと将棋の勉強をしている。穴熊くらい破れないと小学生になめられる。子供相手になめられるといろいろと面倒だ。優位に立つためには遊びと知識では負けられない。だからチャオもコロコロコミックも読むし、凧あげが流行ったら空気力学について学ばなければならない。出来れば昼寝とか散歩とかが流行ってほしいけど今のところブームの兆候はない。 「今ちょっと時間ある?」 気がついたら店長が横に立っていた。別にやましいことはないのだけれどなんとなく慌ててしまう。 「はい。大丈夫です」 「今朝の本部からのメール見た?」 「はい。カギの紛失」 「そっちじゃなくて」 「あ、動画配信のほう……」 小学生女児の性的な配信について四十代のハゲたおじさんと話すのは少々気が引けるが仕事なのでしょうがない。 「確か旦那さんIT系の仕事してたよね?」 「そうですね。厳密にはちょっと違いますけど」 分類上は結婚相談所とかの方が近いんだろうけど、まぁ私たちからすれば立派にIT系だ。 「僕は全然わからないんだけど今どきの小学生って動画配信とかって普通にやるのかな」 「どーですかねぇ。ユーチューブとか好きな子は多いですけど」 「もしよかったらそこら辺のことについて旦那さんから情報とか貰えないかな。さっき本部の人と話したんだけど実情に詳しい人があんまりいなくてね」 「あ、そういうことですか。分かりました。お役に立てるかは分からないですけど訊いてきますね」 「出来れば今週中で」 「明日までってことですね」 「あ、そっか。今週土日休みか」 「はい」 恐らく早めに対策を立てることで本部の評価を上げておきたいのだろう。店舗勤務で気の強い女性客相手にぺこぺこ頭を下げる仕事から卒業したい気持ちも分かるし、ルックスに対してセクハラの一つもせずに真面目に働く中年男性の出世の手伝いをするくらいはしてあげるべきだ。なにより私の罪悪感も軽減される。 ふた月ほど前、例のタワーマンションに住む正樹くんのママがクレームを入れてきた。息子が担当者に酷い暴言を吐かれたのだという。全くの濡れ衣ならばママに構ってほしい子供の妄言で済むのだが残念ながら思い当たるふしはあった。その日私は正樹くんと口論になっていたのだ。 正樹くんの家はタワーマンションの上の方にあり、看病代行以外でも利用してくれる上客で、いつもなら学校が終わってから両親が帰って来るまで一緒にテレビゲームやカードゲームをする簡単なお仕事の予定だった。 しかしその日は正樹くんの友だちが数人家に招かれていた。どの子も襟足が長かったり読めない英字の書かれた柄の服を着ていたり、いかにもお坊ちゃんといった風貌の正樹くんとはなんとなく釣り合わないような子だった。だからといって「あの地域の子供とは遊んじゃダメ」なんて親のようなことを言うつもりはなかった。遊ぶ相手を決めるのは正樹くんであって少なくとも私ではない。 襟足少年たちは言葉遣いが汚かったり、冷蔵庫やお菓子の入った棚を勝手に漁ったりと少々目につくところもあったが、正樹くんは特に気にしていない様子だったし、気心の知れた友達ならまぁこれくらい普通なのかもなと私は思っていた。しかし帰り際にキラのカードを配っている正樹くんを見て、この関係が普通ではないことを認めないわけにはいかなかった。 子供たちの間ではカードのアンフェアなトレードがしばしば行われる。大抵の場合お金があって気の弱い子が、パンチ力があって気の強い子に一方的なトレードや一生帰ってこないレンタルを強要される。お金もパンチ力もある国が一方的に搾取するコーヒーやカカオよりは幾分マシな気もするが、やはりそれは友情としては健全で無い気がする。なによりそのカードは親のお金で手に入れたもので、それを友達料金として使うのは私には納得できなかった。 襟足少年たちが帰ったあとに正樹くんを問いただしたところ「喜んでくれるから」というなんともシンプルな答えが返ってきた。たぶん私がこのときすべきだったことは、見て見ぬふりか親にこっそり報告することだったのだろう。保護者代行は親でも教師でもない。道徳の家庭教師なんて謳っているが結局お金を貰って子供の相手をしているだけだ。自分の価値観で誰かの道を正すような存在ではない。 結局正樹くんは私に怒られたことが納得できなかったらしく、ママに泣きつきクレームへと発展した。正樹くんママとしてもうちの店が利用できなくなるのは避けたかったらしく、私の土下座一つでとりあえず問題は解決したが、悪評はママ友ネットワークであっという間に広まってしまった。一度失った信頼を取り戻すためには小学生が大学生になるくらいの年月が必要だ。だから本来ならば移動になるところなのだが、中途半端な時期だと新しい店で苦労するとかもっともらしい理由をつけて店長が残してくれたらしい。別に移動なら移動で構わないと思っていたけれど、そんな話を聞くと悪い気はしない。恩を返したって罰は当たらないだろう。
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