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店員がランチメニューをディナー用に取り換えている。ディナーなんていうと聞こえはいいけれど、ここは1000円以上のメニューがほとんどないファミレスだ。そんな店に昼過ぎから二時間近くも居座っている僕や加藤には店側も言われたくないだろうが。
テーブルの上にはコーヒーとコーラ、ガムシロとミルクの残骸。ランチメニューとドリンクバーで何時間も居座るなんて模範的な社会人はやらないだろう。まぁ僕たちはただの社会人ではなく社長と相談役なのだけれど。
「それで、午前中の話し合いはどうだった?」
「んー大体予想通りって感じ?」
加藤が少しとぼけた返事をする。
「やっぱりかー」
一週間ほど前、大きめのIT企業から会社に連絡があった。いろいろと回りくどい文章だったがつまるところ買収したいというような内容だと僕たちは理解した。そして予想通りということはそれが事実だったということだ。
「まー悪い話じゃなかったよ。つーか基本的には良い事ずくめ」
「そりゃね。実際には良い事ばかりではないんだろうけど」
「そうね。でもいきなり殴られるよりはマシかな」
「でも断ったら殴ってくるんでしょ?」
「だろうね」
「大企業怖いわ―」
ふたりでゲラゲラと笑う。自分の会社のことなのにどこか他人事だ。
加藤が最初に話していた放送業界で上手く生きられなかった人たちを救済したいという志の高い考えはわずかではあるが達成された。たばこの銘柄が覚えられなくても、買い出しのセンスが絶望的に無くても、動画投稿者の右腕となって活躍しているという人は出てきた。
しかし一方で賃金の問題で結局辞めざるを得ないという人もたくさんいた。動画投稿で稼げるのはトップクラスの人たちだけで、当然技術者の枠もごくわずか。しかもいつまで稼げるか分からない。夢みがちな人だって生活できないことくらいは分かる。
それに動画投稿文化自体が徒党を組んだり事務所を作ったりと、芸能界と同じような未来に向かっているのは明らかだった。もう面白い素人が面白いことだけを武器にポンポンと出てくるような時代ではなくなってきているのは加藤にも僕にもはっきりと感じられた。
「それで話は乗るの?」
「そりゃ乗るしかないでしょ。殴られんのは怖いし」
加藤がコーラを一口飲んでから答える。
「子会社なら一応俺らは相談役と社長のまま?」
「そうなんじゃない? ただメンドーな感じだったらすぐやめるけど」
「マジ? やめてどうすんの?」
「んー、バンドでもやるかなぁ」
「日本のバンドって年齢制限あるらしいよ」
「うそ? 何歳?」
「25。それ超えるとデビュー率すげー落ちるんだって」
「うわ、アウトじゃん」
「だな」
「じゃあレコード会社から作るか」
「お、いいね。手伝うよ」
「いやいや、お前は会社残れよ。結婚もしてるし」
「あ、そうか」
言われるまで考えもしなかった。そうか、結婚しているからには勝手に会社を辞めたらマズイわけだ。でも妻なら笑って許してくれそうな気もする。いや、さすがに養ってはくれないか。
「まさか俺より先に結婚するとは思わなかったよ」
「俺も思ってなかったよ」
「なんでしようと思ったの?」
「うーん、流れ? 毎回呼び出すのがメンドイから結婚すっぞって言われて、まぁいいかなって」
「え、そんなもん?」
「いや、うちが特殊な自覚はあるよ」
「子どもは作らないの?」
「あー、前に子どもが好きか訊いたら、社会保障が充実したら好きって言われた」
「なにそれ?」
「さぁ? まぁなんかいろいろあるんだと思うよ」
妻は付き合い始めてから現在に至るまで安全とか危険とかそういう日程を頑なに守っているようだし、デートには必ず避妊具を携帯していた。もしかしたらなにか妊娠にまつわる悲しい過去があったのかもしれない。
でもそのことについて僕は何も訊かない。彼女が言い出さないという事は言いたくないという事だ。話してくれる日が来るならちゃんと聞くし、来ないならそれで構わない。
「まぁお前の嫁さん少し変わってるもんな」
「そう。なんか知らないけど俺は変わった人にばかり好かれる」
「あー分かる気がする。お前高校の時も変な奴に好かれてたもんな」
「それお前も含まれてるからな」
「そうか? 俺は普通だろ」
加藤がへらへらと笑っている。僕は変な奴にしか好かれないけど、加藤なら火星人とだって友達になれるような気がする。
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