第三章【桜柄のハンカチ】

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「あの、さっきはありがとうございました」  振り返ると、そこにいたのは先ほどの女性鑑識員だった。「私のこと、庇ってもらって」 「別に庇ったつもりはないわ。当たり前のことを言っただけよ。えっと――」 「私、川端南署鑑識係の八木沢しのぶです。まだ、鑑識係に配属になったばかりで、研修中なんです」 「そうなの。頑張ってね」 「他に何か、知りたいことはあります?」と八木沢しのぶは声を潜めて言った。「私で解ることでよければ――」 「いいの?」 「はい。私、高橋係長のこと、好きになれなくて」 「そういうのはね、こっそり思ってるだけじゃダメよ? 直接ガツンと言わないと、あいつ、解んないわよ」夏帆が言うと、しのぶはぎこちなく微笑んだ。「ま、いいわ。じゃ、遠慮なく。死亡推定時刻は?」 「昨夜、午前零時から二時の間やと思われます」 「刺殺よね? 現場はここ?」 「おそらく。血痕が大量に残ってましたから」 「殺害状況は?」 「現場の状況から見て、おそらく背後から一突き。被害者がよろめいたところを追撃し、あとはめった刺しという感じです」 「めった刺しね――」  内藤深雪は、めった刺しという感じではなかった。司法解剖の結果では、凶器は刃渡りニ十センチ程度の一般的な家庭用包丁だということだったから、二人はそれぞれ違う凶器で殺されたということか? 「あのハンカチは、どこにあったの?」 「ハンカチは、被害者が左手で握っていました」 「左手で握っていた?」 「はい。殺されてから握らされたように見えました。自分で握ったにしては、指の関節の折れ方が変でしたから」  八木沢! どこ行った! ブルーシートの中から響いた声に、しのぶはびくりと身体を震わせ、「はい! 今行きます!」と踵を返して戻っていった。組織を構成する一員らしい反射的な従順さは、多くの場合その個人の自立とは逆行する。彼女、苦労しそうね。夏帆はKEEP OUTのテープをくぐり、腕時計に目をやる。  午前八時前。そろそろ、葛木と芽衣が京都駅に着くころだ。
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